■読み返し
記述だけでなく、読み返しにおいてもカズンの形式は役立っていました。
まず「日付とノート」がセットになっています。ある一日の「行動」を振り返ったときに、その日の「ノート」も一緒に目に入ります。ノート部分はその日の行動を掘り下げたものあれば、前日に読んだ本の感想を書いていることもあり、微妙な関連性にとどまっています。ぜんぜん無関係とも言えないが、密接に関係しているとも言えない、という距離感です。
そのような微妙な関係の記述が行動の振り返りのときに、たまたま目に入ってくるのです。そこには心地よいセレンディピティがあります。
それだけではありません。ノートスペースは(当然のように)どのページでも下部に位置しているので、ノート部分だけを読み返していくこともできます。つまり、日付+行動は無視して、自分の感想や考えたことだけをぱらぱらと閲覧できるのです。
そのような使い方をした場合、トランジッション・ノート術とまったく同じ構成になるでしょう(いま気がつきました)。
◇ 飽きっぽい人のための「トランジッション・ノート術」|倉下忠憲
連続性や整合性は気にせずに、とにかくそのときに「ノート」に書きたくなったことを書く。そういう運用をずっと前からやってきたのでした。
しかもそれが日付+行動という(いわゆる)セルフマネジメント情報とセットになっていることで、“実用性”が感じられないものでもちゃんと維持できるメリットがあります。つまり、日付+行動側で実用性が担保されているので、ノート部分もそこに引っ張られる形で続けていけるのです。
考えてみると、これはけっこうすごいことです。
■大きいは正義?
当然のように、いくらA5サイズのカズンと言えど、書き込める行動の量には限界がありますし、そもそもノートスペースは一日に一つで、しかもA5サイズの半分以下の領域しかありません。複数の対象について書くなら別の日付のスペースを“間借り”する必要がありますし、思ったことをすべて書くこともできません。
その点デジタルノートなら、紙面サイズの制限を気にする必要はいっさいありません。好きな数の対象について、好きなだけ書いていくことができます。
その結果、生じるのが「多すぎる記述は、処理が間に合わない」という事態なのでした。
ほぼ日手帳を使っていたときは「もっと書き込むスペースがあったら便利なのにな」とイノセントに考えていました。つまり、通常のほぼ日手帳とカズンでは、カズンの方が記入できる量が多く、ノートスペースがついていて、それによって feel so good になっているのだから、もっと記入できる量が増えたら、さらに feel so good になると考えていたのです。
しかし、事はそう単純ではありません。
記述できる対象が限られていたことで、「その日」を代表するようなことをノートに書いていました。つまり、目にしたものをすべてについて記述したのではなく、「これ!」というものを選んでいたのでした。だからこそ、そのノート部分だけを読み返したときに、いい気分が味わえたのです。アーティストのベスト盤のようなものですね。
もしいくらでも記述できるならそうした選別は行われません。そうすると、その読み返しはアーティストのアルバムを一曲も飛ばさず聴いていく、みたいなことになります。もちろん、時間があるときならそれも楽しめますが、日々のちょっとした空き時間に可能な行為ではないでしょう。
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