私たちは日々情報を読み、考え、何らかの形で発信しています。これを知的生産と定義するなら、知性生産の技術が求められるのは当然ですが、そこにはあるねじれた構造が潜んでいます。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』の著者で文筆家の倉下忠憲さんは、知的生産技術についてのジレンマをほりさげながらZettelkastenや生成AIについても言及しています。
知的生産の技術のジレンマ
知的生産活動を次のように定義しましょう。
「情報を読み解き、理解・咀嚼して、新しい情報を生成すること」
そうすると、「知的生産の技術」とは上記のような活動を補助するためのアーツということになります。
ここまでは問題ありません。あくまで概念レベルの整理です。しかし、現実世界での適用を考えるとやっかいな問題が出てきます。
■メタな能力
知的生産の技術を解説する書物があったとしましょう。『ハイパーテキストアーツ』などと適当なタイトルを考えておきます。こうした本から私たちは知的生産の技術を獲得しようとするわけですが、ここで再帰に引きずり込まれます。
『ハイパーテキストアーツ』に書かれていることもまた「情報」だからです。
ややこしいのでゆっくり確認していきましょう。
私たちは「情報を読み解き、理解・咀嚼して、新しい情報を生成すること」を補助するために知的生産の技術を求めます。しかし、それらは情報として提供されるわけで、それを活用するためには「情報を読み解き、理解・咀嚼して、新しい情報を生成すること」が必要なのです。
しかし、まさに「情報を読み解き、理解・咀嚼して、新しい情報を生成すること」の補助を求めていたのではなかったでしょうか。言ってみれば、「Aをうまくやるためには、まずAが必要」というねじれた構造がそこにはあるわけです。
情報としての知的生産の技術を役立たせるには、まず知的生産の技術を習得しておく必要がある。
これが、知的生産の技術のジレンマです。
■レベルの階段を上る
もちろん、この構造は無限に後退していくわけではありません。レベル10の知的生産の技術を読み解くためにはレベル9の知的生産の技術があればよく、レベル9の知的生産の技術を読み解くためにはレベル8の知的生産の技術が、とどんどん階層を繰り下げていき、最後は「文字が読み書きできる」というレベルまでたどり着ければいいのです。
でもってもちろん、私たちは日常生活を営むために文字の読み書きを訓練させられるわけですから、そこがスタート地点になります。少なくとも、どうがんばってもレベル10の知的生産にたどり着くことができない、という袋小路ではありません。コツコツ階段を上っていくことは可能です。
それでも。
レベル3の段階では、レベル10の知的生産の技術は使えない(読み解き、理解・咀嚼して、新しい情報を生成できない)ことが十分ありえる、という認識は大切です。
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