ライブ配信アプリが搾取する「カネと精神」
資本主義によって、金儲けのために地域共同体も家族もバラバラに分化されてしまった今、孤独になった人々の承認欲求と所属欲求が、ますます増大しているように思う。
もともと資本主義は、「あれが欲しい」「こんなことしてみたい」「ここに行ってみたい」という人々の欲望を刺激して、所有・消費させることで成り立っているから、経済は承認欲求によって支えられているという面があるだろう。
すっかり効率化されたコンビニやファミレスに行けば、いつでもどこでも、そう迷わずにある程度のものが食べられるし、衣料チェーン店に行けば、夏は涼しく、冬はあたたかい無難な衣類がすぐに手に入る。
ところが、物理的に必要なものが行き渡った社会のなかでは、バラバラになった、孤独な迷子が大量に生まれてしまった。
そこに合わせるように商売を発達させてきたのが、ネットの世界だろう。SNSやライブ配信ツールは、商売として、承認欲求と所属欲求の受け皿になるように作られている。
例えばYouTubeのライブ配信では、投げ銭額が高額なほどコメントが長時間表示されるので、注目を引いて読み上げられやすくなり、多くの人の目にも留まる。カネで承認欲求を満たして、新たな渇望感を刺激する仕組みだ。
だが、そこに投じられたカネの半分以上は、YouTubeに吸い上げられているのである。
YouTubeのほかにも、投げ銭機能のついたライブ配信アプリはたくさんあり、それぞれのアプリのなかで、日々大勢の人が、自分の承認欲求を満たそうとしている。
ある人は、見知らぬ人にカネをつぎ込み、ある人は、自分の心の底の欲求を一方的に配信者に投影し……。妄想にふけり、執着して、またカネをつぎ込むというくり返しだ。
配信を通じて知り合った人と「実際に会った」という話も、もはや珍しいものではなくなった。 配信では、ほとんどが加工された顔になっているから、会ったとたん幻滅したり、されたり、騙したり、騙されたりということもザラ。
今年3月には、配信者の女性にカネを吸い取られて憎悪を抱いた男が、ライブ配信中の女性の居場所を特定して、惨殺するという事件が起きた。 衝撃的なニュースではあったが、いかにも象徴的な出来事でもあり、似たような話はごろごろ転がっている。
感情がうごめくライブ配信は、誰がいくらカネを投げたか、その人が配信者からどう扱われているか、周りからどう見られているかが筒抜けになっているから、嫉妬も煽りやすい。請求書を見せられて、財布からクレジットカードを出して会計するという動作もないので、キャバクラなどよりはるかに大金を使ってしまう仕組みだと思う。(次ページに続く)









