かねてから囁かれていた、戦後から長きに渡り続いていたとされるCIAと自民党との不適切な関係。1990年代に米有力紙が「CIAによる反共の砦としての自民党への資金援助」を報じた際にも自民サイドは全否定の姿勢を崩しませんでしたが、ここに来てその報道が「真実」であった上に、党大物議員が米側に対して隠蔽工作を依頼していたことまでもが発覚する事態となっています。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、日本政府の国民に対する欺きと言っても過言ではない行状を伝える西日本新聞掲載の記事を紹介。さらにこの「不適切な関係」が日米両国間に今なお与え続けている影響を考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:米公文書に記録された「CIA資金と自民党」のワンシーン
またも明らかになった日本政府の大ウソ。米公文書に記録された「CIA資金と自民党」のワンシーン
1950年から60年代にかけて、自民党がCIA(米中央情報局)から巨額資金の提供を受けていたことは、1994年10月9日付のニューヨークタイムズの報道によって、知る人ぞ知る事実である。
日本政府と自民党はこれまでずっとCIAとの関わりを否定してきているのだが、それを覆す重要な記事が8月5日の西日本新聞に掲載された。「CIAが自民党に資金提供…河野洋平氏が文書非公開を要請」という見出しがついている。
NYタイムズの記事が出た当時、副総理と外務大臣を兼ねていた河野洋平氏(自民党総裁)が、モンデール駐日米大使に対し、CIAの資金援助に関する文書を公表しないよう要請していた。そんな内容を記載した公文書が新たに見つかったというのだ。つまり、CIAと自民党との関係が、報道レベルだけでなく米公文書によっても裏づけされたわけである。
それなら、日本政府は今に至るまで国民を欺き、この件を隠蔽し続けてきたことになるではないか。
「東京支局の公式認定」と題されたその文書は、今春、トランプ政権によって機密解除されたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件(1963年)関連の膨大な資料の中に埋もれていた。
文書には世界各地で諜報活動をしてきたCIAの東京支局について、その存在を公表することを日米両政府が反対していたことが記されており、産経新聞と朝日新聞が今年4月に報じている。
今回の西日本新聞の記事は、同じ文書の中の一項目「NYタイムズ紙のCIA資金提供報道」に焦点を当てたものだ。それによると、文書には以下のような内容の記述があるという。
当時、外相で自民党総裁の河野洋平氏は自らモンデール大使に、米政府がこの問題に関する公文書を公開しないよう要請した。
河野氏は、自民党はうわさや確証のない情報の漏えいには対処できるが、日本でのCIAの活動を公式に確認することは全く別問題であり、保守政治指導者だけでなく日米の安全保障関係にもダメージを与える恐れがあると説明した。
つまり、河野氏は「CIAから自民党への資金援助を米国政府が認めたら政治的に対処できなくなる」と言って、モンデール大使に泣きついたということなのだろう。NYタイムズの報道に衝撃を受けているさまがよくわかる。
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「そんな事実はない」と切って捨てた森喜朗のウソ
では、NYタイムズの報道内容を確認しておこう。以下は、長文記事のごく一部である。
CIAは日本を反共の砦とすべく1950年代から60年代にかけて、自民党と党幹部に数百万ドルの資金援助を行っていたことが、情報機関の元高官や外交官らの話でわかった。
1955年から58年にCIAの活動の責任者だったアルフレッド・ウルマー・ジュニアは語る。「我々は自民党に情報を依存していた。CIAは自民党を支援するとともに、党内の情報提供者を雇うために資金援助した」。
ケネディー政権で国務省情報部門のトップを務めたロジャー・ヒルズマン。「自民党と政治家への資金提供は60年代初めまでに定着し日常化していた。極秘対日政策の基本部分だった」。
66年~69年の駐日大使アレックス・ジョンソン。「米国に味方する政党を支援したということだ。私が69年に日本を去り、国務省に移った後も資金援助は続いた」。
日本の高度成長がピークに達し、日米の貿易摩擦が問題となる1970年代初めに秘密資金援助は打ち切られたようだ。
70年代から80年代初めに東京に駐在した元CIAメンバーは言う。「CIAは長年の協力関係を利用し、あらゆる省庁に協力者を得て伝統的な情報活動を行った。首相の側近をリクルートし、牛肉、オレンジの市場開放交渉では、日本側の交渉の落としどころまで掌握していた」。
自民党への資金援助をやめたあと、CIAは日本の政官界での情報収集活動に重点を置いていたことがうかがえる。
この記事について、当時、日本の国会でどんな質疑が行われたかを見てみよう。1994年10月12日の衆議院予算委員会。民主党の伊藤英成議員と河野外相とのやりとりの一部だ。
伊藤議員 「ニューヨーク・タイムズに掲載された1950年代から60年代にCIAが自民党に資金援助をしていたことについての記事について今後調査をさせるつもりがあるか」
河野外相 「ニューヨーク・タイムズから、あの記事を掲載する前に問い合わせがあり、党の事務局で調査をした。しかし証拠となるものはなく、ニューヨーク・タイムズに対して、こうしたことは一切ないと明確に返事をした」
当時の森喜朗・自民党幹事長も「そんな事実はない。迷惑な話だ」と切って捨てた。しかし、実のところ自民党は危機感を深め、モンデール駐日米大使に河野総裁自ら隠蔽工作を行っていた。そして、そのことが米公文書に記録されていたというのが、西日本新聞の記事の要点だ。
河野氏が公開しないよう求めたという「CIA資金提供に関する公文書」がどのようなものかは、この記事ではわからない。ただ、94年10月10日に河野氏がモンデール大使と極秘に会談したことを、その1か月後に産経新聞が報じ、朝日新聞が後追いしている。
産経の記事によれば、河野氏は会談で「日本では政党が選挙のさい外国から資金援助を受けることが禁じられている。今回の報道は自民党にとって重大な問題になりうる」と述べ、今後大使館に照会があった時は「インテリジェンスに関するものでありコメントできないという線で回答してほしい」と要請している。
今回見つかった米公文書はおそらくこの極秘会談についてCIA東京支局が記述したものだろう。CIA資金提供に関するコメントを拒否すること。関連文書についても公開しないこと。そのような要請が河野氏からモンデール大使になされたことになる。
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米支配から日本が解き放たれていない証拠であるトランプへの屈服
今回の西日本新聞の記事は、CIAから自民党への資金援助という戦後史の闇にかかわるワンシーンが、はからずもCIA関連の米公文書によって暴かれたという点で、大きな意味を持つ。
あらためて振り返るなら、1952年に日本が連合国とサンフランシスコ平和条約を結んで独立した後、アメリカは、米ソ冷戦の激化や国共内戦における中国共産党の勝利などに対処するため、日本を反共の防波堤として支配し続ける必要があった。そのための裏工作を受け持ったのがCIAであり、自民党や所属議員への資金援助はその活動の一端だった。
敗戦後の混乱の中、GHQによって7年近くも占領統治されたことは日本人のメンタリティーに大きな影響をもたらしたと言われる。対米従属意識とか、米国依存とかいわれるものだ。自民党の有力者たちが、唯々諾々としてCIA資金を受け取っていた根底にはそんな心理構造がある。
問題は、そのようなメンタリティーが、今もなお日米関係に影を落としていることだ。石破政権が直面しているトランプ関税交渉で、米政権が突きつけた“経済降伏文書”とでも言える条件を日本政府が無抵抗に受け入れたのを、どうとらえるべきか。CIAの資金をあてにして選挙を戦ってきた議員たちの“DNA”のようなものが、そういう党や政権の体質をつくってきたのではないか。
日本の政治権力者たちが、米国に逆らうことを“政治的自殺”とみなす傾向は、“戦後の呪縛”そのものだ。トランプ関税での屈服もまた、単なる交渉敗北ではなく、まだ米国の支配から日本が解き放たれていない証拠といえよう。
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