トランプ流「米国ファースト経済」の手法が使えない日本。高市首相が“モノづくりの空洞化”に苦しむ我が国で取り入れるべき「5つの視点」

 

官民を挙げて促進させた「空洞化」の大きすぎる代償

こうした空洞化ですが、本格化したのは1980年代からです。当時は、日本経済は非常に好調で、それこそ世界最高の生産性を誇っていました。その結果として貿易黒字が積み上がる一方で「集中豪雨的輸出」だなどとして、米欧から激しく叩かれていたのでした。

そんな中で、官民挙げて「空洞化」を進めた経緯があります。市場の側から「雇用を守るために現地生産を」という圧力があり、これに政治家も外交官も耐えきれなくなっており、国内のGDPを傷つけることは分かっていても、空洞化を促進する判断になったのでした。

その際には「為替リスクを避けるため」という言い方がよくされました。つまり、例えば自動車の新車発売の場合に、ある値段で事業計画を練っていても、発売までの期間に円高が進むと、原価が高くなって計画の変更を余儀なくされるというわけです。この為替リスクは現地生産にすれば回避できる、だから生産を現地に移すのだという事がよく言われました。

このときは、誰もが「まあ、そうだな」という感覚で見ていたのですが、後から振り返ってみると、当時の自動車産業やエレクトロニクス産業には、「空洞化への後ろめたさ」もあったのだと思います。本音としては政治的圧力を受けているとか、人件費の圧縮ということもあったのですが、ひたすらに「為替リスクの回避」ということが言われていました。

それから半世紀近い年月が流れました。日本を取り囲む経済環境は激変しています。そんな中で、円は最高の1ドル79円からほぼ半値の152円へ下落、賃金水準はほぼ横ばい、ということは人件費の「為替リスク」は半減したと考えられます。GDPの伸びは鈍化が著しく、かつてはG7でトップであった一人あたりのGDPは最下位の水準になっています。

そこで一つの疑問が出てきます。トランプ経済のように、日本こそ製造業の国内回帰を進めるべきではないのか、という疑問です。何しろ為替は追い風、そして人件費は横ばいの中で、人件費の競争力は80年代とは比べ物になりません。今こそ、空洞化で失われた製造業を国内回帰させるべき…そのような仮説は話としては成立しそうです。

では、こうした空洞化の流れを変えて、国内の製造業を復権させることは可能なのかというと、これは残念ながら「ノー」です。本当に残念ですが、4つの理由があり、そのどれもが深刻な理由だからです。

1つ目ですが、市場の問題があります。まず日本の市場は縮小途上です。購買力も細っていますし、何よりも人口減がこの先は加速していきます。この点がアメリカとは全く条件が異なります。アメリカの場合は、巨大な消費地で人口も購買力もあるので、製造拠点を国内に戻すことに成功すればGDPにはプラスになります。

ですが、日本はそうではありません。様々な軋轢を生みながら海外生産を引き上げて、国内に生産を移管するだけのメリットがないのです。更に、現在はトランプ主義の影響により、どんな国も「自国ファースト」という発想を持っています。そんなタイミングで、わざわざ生産拠点を日本に移して、日本から輸出するというビジネスモデルに切り替えるのは、そもそも可能なケースは少ないと考えられます。

2つ目には労働力の問題があります。そもそも日本は生産人口が極端に減少中で、多くの業種で人手不足が顕著となっています。加えて、生産年齢の人口の大都市集中も極めて顕著です。仮に製造業回帰を進めるのであれば、立地としては地方になります。何故ならば大都市圏には遊休地は少ないからです。

そうなると、労働力の地理的なミスマッチが激しいことになります。60年代から80年代に、日本の製造業が爆発的に成長した際には、地方にも若くて優秀な労働力があり、それが経済成長を支えていました。ですが、現在はそのような構造はありません。

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