東日本大震災から15年。あの日、駅のホームに大きな破片が落ちる中で思った「私、死ぬかも…」

 

「私、ここで死んじゃうのかも」

「こっちに来ないと線路に落ちるぞ!」と近くにいた年配のご夫婦が声を上げ、腕をつかんでしまっていた男性に、「移動しましょう!」と手を引っ張られるも足が動かない。さらに揺れが激しくなり、その場にうずくまらないとホームから線路に投げ出されそうになった。

「危ない!こっちへ!」ーー再び、ご夫婦の声。

そこで、左手で地面を押さえ、右手で壁を必死につかまえて、何とか階段下のホーム中央まで移動した。「地震は長くても1分」と教わっていたように思うのに、ちっとも揺れが収まらない。揺れていた看板がはずれて落ち、悲鳴を上げた女性の声が響きわたる。

「私、ここで死んじゃうのかも……」──。マジでそう思った。

やっと揺れが収まった時には駅は停電していて、駅員さんが懐中電灯を手に「怪我をされている方はいませんか?」「まだ、何も分かりません。みなさん、落ち着いてください」と声を張り上げていた。

周りにいた人たちも一斉に、携帯をチェックして情報を得ようとするが、何も分からない。すると再び、大きく揺れ始める。悲鳴とゴーッという音が、鳴り響いた。

誰も知り合いのいない街で

揺れが収まると、駅員さんが「駅の外に避難してください」と声を張り上げた。近くにいた40代くらいのサラリーマン風の男性2人組と、40代後半くらいの男性1人は一気に階段を駆け上がった。

一方、年配の女性たちのグループは地震で受けた恐怖から動けない。それに気づいた20代くらいの男性が、「上に移動しましょう」と女性たちに声をかけ、私も一緒に改札口に向かった。

階段を上がる途中で、20代の男性が持つ携帯の画面に地震速報が入り、「仙台で震度7です!」と大声で叫ぶ。一斉にどよめきが起こるが、やっと情報が入ったことで、少しばかりの安堵が広がる。

駅の改札口付近には、水道管が破裂して水がどんどんと流れ込んでいた。数分前にドラ焼きを買った店のガラスが割れて倒壊し、商品は散乱。店員さんは乗客を外に誘導していた。

改札を出ると、駅の外には人があふれ、余震が来るたびにガラスの割れる音、落ちる看板が鳴り響いた。

見る見るうちに駅が封鎖され、「〇×小学校に避難してください」という指示に応じて、多くの人が移動。誘導していたのは、駅に隣接していた丸井の社員たちだった。

駅前にいた人たちの多くは地元の住民と思われる。旅行者3割、出張などのサラリーマン1割といったところだろうか。地元の人たちは避難所の小学校に向かい、サラリーマンの人たちは会社に戻るのか、三々五々、明らかに目的地に向かって歩き始めた。

恐らく見ず知らずの土地で、水戸に知り合いも行く場所も何もなかったのは、私だけじゃないか、と思われる状況だった。

誰も知り合いがいない状態は、かなり恐怖。どんどん冷えてくるし、周りの状況も分からない。そうした中、幾度となく余震が押し寄せてくる。

とりあえず講演会のあったホテルに戻れば、主催者の人たちと会えるかもしれないと行ってみる。しかし既にホテルは停電でクローズし、全員が小学校に避難し、もぬけの殻だった。

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