「音のない写真」が語る東日本大震災。気仙沼線写真展から考える3.11の伝え方

 

震災から数日後のことである。夜中に新潟で乗せてもらい、仙台に着いたのは朝方。

トラックから降りた仙台市内には「おと」がなかった。

平和な静かな朝、ではなかった。

生活する音が消えて、死んだようになった街、「ゴーストタウン」という言葉が浮かんだのを覚えている。

震災の後で誰もがひっそりし、仕事に行く人もいないし、鳥さえも囀らなかった。

仙台市内の実家で家族の声を聞き、避難所になった近所の小学校で避難している方々の声を聞き、そして沿岸部に行って遺体捜索をする消防たちの声を聞き、震災に音が授かった。

音とは、つまり生きていることの証であることを実感した。

震災に伴う東京電力福島原子力発電所の事故から2年後、双葉町を訪れた時も音のない世界がそこにあった。

人が避難したまま止まった町の時間。

町は何の音も発しなかった。

以前、私が取材をしてオンエアしたラジオ番組では避難地域になった富岡町で大晦日と新年に鳴り響いた除夜の鐘を紹介したこともあった。
震災前の戻らない風景には音があったこと、誰かが動いて鳴らして音が響くという当たり前の原理に懐かしさを覚える時、それを望郷と呼ぶのは、石原吉郎の詩を想起させるノスタルジーかもしれない。

人と音、そして思い出はつながっている。

私自身、被災はしていないものの震災発生から比較的に早い段階で被災地に入ったことで、自分なりに音に接することができたし、関わり合うこと、何らかの活動をし続けることで変化を私なりに受け止め、それを音に変換することもできた。

被災者の困難な状況を見聞きした者としても、震災が忘却されることは避けたい。

その手法として、震災を音として記憶することは有効であると考えている。

だから、震災について学生に伝える講義「ケアメディア論」では、震災の音に着目している。

震災前の音となくなった音。

震災によって戻らない生活と音、そして、社会が変わったことによる音。

それは震災を記憶するだけではなく、事象に耳を澄ます、という行為につながる。

そこから見える風景を心に刻み、311が教訓として継承されることを学生に期待しているが、若い感性は思いのほか敏感に反応し、自分なりの震災のストーリーを刻んでいるようだ。

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image by: Kotaro Nakatani / Shutterstock.com

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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