「国家情報局設置法案」に残る大きな疑問。“雑多な情報収集”から“戦略情報分析”への転換という絶望

 

直感力 × 想像力 × 論理力

高野ゼミでは、こういう「インテリジェンスの三角形」という自作の図を示し、これを右回りでも左回りでも自由に高速回転させられるように訓練すると、その真ん中にインテリジェンスが宿るようになる、と教えた。

      直感力=体
     するどさ
     ↑↓ ● ↓↑
  想像力=心 → 論理力=頭
  しなやかさ ← たしかさ

論理力は、インフォメーション詰め込み教育の中でもある程度までは鍛えられる。とはいえ、一般的な形式論理学的な静的な思考方法ではダメで、弁証法論理学を学んで動的な思考方法に鍛え直すことが必要になる。

今時は、それこそハーバード大学の「ハーバード・ビジネス・レビュー」という雑誌でも弁証法的思考を身につけることの重要性を強調する特集を組んでいるほどで、本格的にやろうと思えばヘーゲル、マルクスから紐解かなければならないが、まあ差し当たり毛沢東の『矛盾論』を読めば十分だろう。

私どもの若い頃は毛沢東が延安の洞窟で行なった講義録『実践論・矛盾論』が必須の一般教養で、岩波文庫にも国民文庫にも収録されていたが、とっくの昔に絶版となったままなのは残念なことである。

偽物や代用品が横行する世の中でいちばん衰弱が激しいのは直感力で、五感の中でも視覚と聴覚しか使わないという人が増えている。五感がフルに働かなければ「第六感」などひらめくはずもない。これを蘇らせ鍛え直していくには、何によらず「本物」に接することである。

例えば、テレビで見て「いいなあ」と思った人には電話して直接会いに行くとか、月に一度は博物館・美術館に行くとか、あるいはロックでもジャズでもクラシックでも生で聴くコンサートに行くとか、である。

想像力も減退著しい領域で、これは取り敢えず、「歴史的=時間的」と「地理的=空間的」とで想像力を拡張する訓練を始めるしかない。

例えば、インフォメーション教育で与えられる「日本史」像と言えば、縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安……と続くものと決まっているが、それは実は「本土史」、もっと正確には「大和史」の時代区分に過ぎず、沖縄県で昔から使われてきた高校の副読本『琉球・沖縄史』を開くと、最初に「日本史の構造図」が出てきて、「沖縄・先島」=琉球、「本土」=大和、「北海道」=蝦夷地、が日本史を構成する3本柱として同じ太さで描かれていて、ど肝を抜かれる。

しかも面白いことに、与那国島から種子島までの琉球列島と、鹿児島から福島までの大和と、宮城から北海道、歯舞・色丹までの蝦夷地とはそれぞれ約1,000キロで、日本というのは歴史的にも地理的にも対等なその3要素で構成されているというイマジネーションを得ることが出来る。

そういう訳で、日本が本当にインテリジェンスを出来るようになるには、まず学校教育のあり方を途上国型から先進国型に変革することが必要になるが、そもそもインテリジェンスを教えられる教師がほとんどいない悲惨な現状を思えば、50年、100年かかっても難しいのではないかと暗澹たる気分に沈むのである。

世界の「大学」の歴史を振り返れば、ヨーロッパで言う中世はイスラム世界が文明中心で、859年にモロッコのフェスで設立されたカラウィーイーン大学とか、970年にエジプトのカイロに出来たアズハル大学が先駆で、欧州では1088年イタリアのボローニャ大学、1096年のイングランドのオックスフォード大学、1150年のフランスのソルボンヌ大学などが古いが、それらは皆、カイロのアズハル大学をモデルにして作られたと言われている。

日本の最初は、1868年の慶應義塾、77年の東京大学、82年の早稲田大学などで、700~800年のギャップがある訳だから、日本の大学・大学院が本物のインテリジェンス教育の場になるのは50年、100年どころでなく何百年も先のことかも知れず、となると日本の国家が滅びるほうが先かもしれないということになる。

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