高市早苗は誰に「戦争を繰り返させない」と誓ったのか?戦没者追悼「式辞」に滲む“自存自衛”の歴史観

 

「大義名分を掲げ無数の人命を犠牲にした」という事実

1994年10月、高市氏は衆院予算委員会で、当時の村山富市首相が同年8月に行った追悼式辞について質問した。

高市氏 「総理はさきの大戦への反省、侵略行為や植民地支配に触れ、私たちの過ちによって惨たんたる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉を使ったが、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか」

村山首相が「日本の軍隊が中国本土や、南アジアの国に攻め込んでいった、それを指して侵略的な行為と申し上げている」と答えると、高市氏は「(あなたは)大戦当時、侵略行為への参加の自覚があったか」と切り返した。

「そういう教育を受けた。国のために一生懸命頑張ろうという気持ちで参加した」という村山首相に対して、高市氏は強い口調でこう述べた。

侵略行為への参加という自覚は持っていなかったということだが、50年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者や、尊い命をささげた人々のしたことを過ちと決める権利が総理大臣にあるとお考えか。

勝手に代表して謝ってもらっちゃ困ると私は思う。

高市氏が何を言いたいのか、さぞかし村山首相は困惑したことだろう。そもそも、国家が起こした戦争の法的・歴史的な侵略性と、一兵士や個々の国民が抱いていた主観的な動機は次元が異なるのではないか。侵略行為は、個々の兵士が自覚していなかったことによって免責されるものではないはずだ。

たしかに、日中戦争や太平洋戦争をめぐる戦後の歴史観は、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決や連合国側の認識に影響されていることは否定できない。それをもって、保守・右派層が「東京裁判史観」「自虐史観」と批判することも自由である。

戦争は、一方だけが加害者であるということはまずない。満州に進出した関東軍がいくつもの謀略的事件を起こし、満州国を建国したのは、もとをただせば南下をうかがうロシアの脅威があったからだ。真珠湾攻撃も、石油の全面禁輸で追いつめられ、日米交渉で打開をはかったが、「ハルノート」により決裂したためだった。日本側の見方とすれば、そういうことになる。

しかし、「統帥権」という“魔法の杖”で軍部が暴走、国を守るため、あるいは欧米列強の植民地となってきたアジア諸国を解放するためというような大義名分を掲げて大陸に兵を派遣し、米国と戦うため太平洋の島々に軍事拠点をつくって、無数の人命を犠牲にしたことも事実だ。

戦後の日本人は、それを「侵略」と呼ばれるのを受け入れ、「反省」することにより、再び軍事国家となる道を閉ざし、平和と経済を重んじる社会をつくってきたのではないだろうか。過去の歴史を誇るのもいいが、人も国家も、「反省」がなければ、進歩もありえない。「謝罪外交」をせよというのではなく、これからも平和国家を続けていくための心構えとして、戦争への「反省」が欠かせないと思うのだ。

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