高市首相に今一度かみしめてほしい日本国憲法の貴重さ
この日、高市首相は靖国神社への参拝を見送った。むろん、台湾をめぐる“存立危機事態”発言につむじを曲げたままの中国政府をこれ以上、刺激しないためである。だが、追悼式典会場の日本武道館に到着し、車を降りるさい、靖国神社の方角に向かって「遥拝」した。これまで「総理になっても参拝する」と言い続けてきただけに、保守層向けに、参拝見送りの“埋め合わせ”をしたかったのだろう。
天照大神を祖神とする天皇が、天皇のために戦って亡くなった人々を神として靖国に祀る。つまり、天皇のために、お国のために、命をささげた者は、靖国で神になれるという伝説を、明治政府はつくりあげた。裏を返せば、戦意高揚、戦争協力の仕組みだ。
高市首相は子供のころから、教育勅語を唱和する家庭環境で育ち、「(勅語は)子供も大人も心を合わせて道徳を実践する空気を醸成した」「現代においても尊重すべき正しい価値観だ」と主張している。だが、靖国神社にしても教育勅語にしても、天皇を中心として社会全体をまとめようとする戦前の国家主義的な政治イデオロギーの精神的支柱となっていたのは確かである。
国家の犠牲になって亡くなった数知れぬ人々のために祈りをささげたいという心は尊いし、大切なことだ。しかし、1978年以降、天皇が参拝を取りやめているのは、いわゆるA級戦犯が合祀されたからであり、戦争への深い「反省」をにじませるそのお気持ちも重んじるべきであろう。
高市首相は自衛隊明記や緊急事態条項など4項目を中心とする憲法改正をめざし、党大会などで「時は来た」と発言、「2027年春には改正発議のめどを立てたい」と強い意欲を示している。だが、たとえ80年以上昔のことであっても、一国の宰相として過去の戦争を「反省」するべきではないと主張する人物に、憲法改正を主導してもらいたくないのも正直なところだ。
戦後の民主主義や平和主義の問題点を見つけ出し、「権利偏重」だの「お花畑」だのと鬼の首を取ったかのようにはやし立てる人々がいる。どんな社会にも矛盾はある。だが、戦前の軍国主義、国家主義、全体主義よりはずっとましだということも考えておかねば、重要な価値観を見失うだろう。
戦時中の悲惨さや苦難を身をもって知っている世代は年々少なくなっている。「戦争体験の風化」という言葉も、今では当たり前すぎて死語になりつつある。この国にとって、戦争の記憶と深い反省こそが、平和の礎だった。それが失われつつあるこの時代、せめて国のリーダーには、戦争をしないと宣言している憲法の貴重さを、今一度かみしめてほしいものだ。
この記事の著者・新 恭さんを応援しよう
image by: 首相官邸








