大阪万博における太陽の塔など数々の傑作を残した稀代の芸術家・岡本太郎氏は、同時に感情の起伏が激しい人物としても良く知られていたようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな岡本氏と親交のあった作家・五木寛之氏が彼の本質について、作家ならではの視点で解説しています。
岡本太郎さんは、私を指さして大声を発した
月刊『致知』で好評連載中の、作家・五木寛之氏による「忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉」。2019年7月号には、芸術家・岡本太郎氏との心に残るエピソードが綴られています。
岡本太郎氏が発した忘れ得ぬ言葉とは、どんなものだったのでしょうか?
本気で腹を立てた岡本太郎さん
岡本太郎さんについては、毀誉褒貶、さまざまな見方がある。天才という人もいるし、イカサマ師のように罵倒する人もいる。しかし、そのこと自体が岡本太郎という表現者の本質ではないかと私は思っている。棺を覆ってなお評価が定まらない。そのダイナミックな存在のしかたこそ、岡本太郎という人の眞骨頂なのだ。
むかし渋谷にジァンジァンという小さなホールがあった。100人もはいれば満席というホールである。しかし、そこはかつての熱い季節をになう舞台でもあった。
一夜、岡本太郎さんをゲストに迎えて、ステージでディスカッションをやった。私がキュビスムの時代のピカソより、初期の作品のほうが好きだ、と言ったとたん、岡本太郎さんは私を指さして大声を発した。「だからキミは駄目なんだ!」と。
芸術は心地よいものであってはいけない、と岡本さんは主張していた。「芸術は爆発だ!」というのは、有名なフレーズである。
岡本さんの著作集が刊行されたとき、私にその一巻の解説を書くようにと依頼があった。折悪しく私は外にいくつもの仕事を抱えていて、とてもそれに応じる余裕がなかった。後日、岡本さんに出くわしたときに、岡本さんは私を指さして大声で言った。
「キミはぼくの解説を書くことを断った。それはキミにとって生涯の恥辱になるんだぞ」
岡本さんは本気で腹を立てていたように見えた。
「キミは偉大な仕事をするチャンスを、みずから放棄したのだ」
その非難のしかたには、一点の迷いもなかった。岡本さんは本気でそう感じていたのだ。
岡本太郎という画家は、その本人の存在自体が一つの作品であったように感じられる。描き手と作品とが一体となって社会に対決している気配なのだ。
ピカソの絵を見て思い出されること
ピカソの絵ならなんでも好き、という具合いにはいかない。
私はのちにバルセロナの美術館でピカソの回顧展を見る機会があった。少年時代のピカソの作品には、すでに天才を感じさせるものがあった。その会場で、どこかで見たことのある男性がいた。
彼もピカソの少年時代の絵を、くい入るように眺めていた。しばらくして私はその男性が、映画『男と女』に主演したジャン=ルイ・トランティニャンであることに気付いた。ルルーシュ監督のその作品は、当時、大きな話題を集めていたのである。トランティニャンと共演したアヌーク・エーメも印象的だった。
ピカソを思い出すと、あの夏のバルセロナが思い出され、そして渋谷のジァンジァンが瞼に浮かび、岡本太郎さんの甲高い声がよみがえってくる。
「だからキミは駄目なんだ!」
思わず懐しさがこみあげてくるのを押さえることができない。