「8月15日」では不都合。なぜ中国とロシアは「9月3日」を“戦勝記念日”にしたがるのか?

Nottinghamshire,,,Uk,04,May,2025,:,Archival,Image,Newspaper
 

我が国における終戦記念日といえば「8月15日」。しかし中国やロシアでは昨今、「9月3日」を戦勝記念日として祝す動きが強まり、今年も北京で「抗日戦争勝利80年」の軍事パレードが大々的に開催されます。なぜ彼らは「9月3日」にこだわりを見せるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、その背景を詳しく解説。さらに日本の議員たちによる靖国神社への参拝が「日本の孤立化」を深めかねない可能性を指摘しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:戦後80年と「9月3日問題」を考える

日本の「降伏の日」はいつなのか。戦後80年と「9月3日問題」を考える

第二次大戦における日本の降伏は「いつか?」という問題には2つの答えがあります。日本国内では一般的に、1945年8月15日という理解があります。これはポツダム宣言による陸海軍の無条件降伏の日であり、この日に昭和天皇の肉声録音による「玉音放送」があって国内的には敗戦が周知されました。またアジア圏に展開していた陸海軍には武装解除の命令が出されています。

どうして日本として「8月15日」が降伏の日とされたのかということについては、考えてみればさまざまな指摘ができます。例えば、昭和天皇と鈴木貫太郎内閣により「軍民の戦没者を追悼するには盂蘭盆会の日が相応しい」という判断があったことと、他ならない昭和天皇の肉声による周知が大きな効果を持ったことが挙げられます。

それよりも何よりも、米軍が実際にこの日を境にして、本土空襲を停止したことにより本土の国民には「生き延びた」という安堵感が広がったことも大きいのだと思います。いずれにしても、以来80年にわたって日本では8月15日を終戦記念日として戦没者の追悼をするということになっています。

その一方で、9月3日という日付もあります。こちらは、日本と連合国との間で交わされた停戦協定の調印日です。調印式は、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において行われました。この協定調印によりポツダム宣言の受諾は文書上確定されたことになります。

ということで、降伏の日としては2つあるわけですが、日本だけでなく米英では一般的に8月15日の重みというのは歴史に残っています。直接の戦闘が停止した日という意味合いは当事国のもう一方としても大きいのです。例えばNYのタイムズスクエアで、水兵が女性とキスをしている「戦勝の歓喜」を表現した写真は歴史的に有名ですが、これは現地8月14日に撮影されたもののようです。

ただ、そこは文書への調印で契約を確定することの重みを重視する文化もあるわけで、アメリカでは9月2日(3日)も正式な日付としてVJデー(対日戦勝記念日)ということになっています。

例えば南北韓国の場合は、日本の植民地統治が事実上終了した日ということで、8月15日を「光復節」として盛大に祝います。こちらも、契約調印より実質の方を取っていることになります。

そんな中、近年はロシアと中国が組むことで、9月2日(もしくは時差の関係で3日など)を対日戦勝記念日として祝う動きが強まっています。例えば今から10年前の2015年には、9月3日に「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」というのが天安門前広場で行われています。

これは大変に盛大なもので、上海機構の参加国だけでなく西側からも日本を除くG7も外交官が出席するなど大きな式典でした。本来でしたら安倍総理(当時)は強行出席するぐらいの構えでいて欲しかったのですが、同氏の支持層のカルチャーにはそうした気骨は少なく、日本としてはスルーした格好となりました。結果的に日本では記憶されていないのですが、この件が様々な伏線として機能しているのは否定できません。

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