昔に書いた「ブログ」に残された言葉が、なぜ「人生の歴史」になっていくのか?

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SNSのタイムラインに流れる言葉は、数日もすれば埋もれていく一方で、ブログや日記のように「残る文章」は、書いた本人に思いがけない発見をもたらすことがあります。文筆家の倉下忠憲さんは自身のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で、自身の経験をもとにブログという記録媒体が持つ意味と、「そのときにしか書けない文章」の価値について考えています。

ブログがつくる歴史

ほとんど誰も必要としていないだろうな、と思いつつもR-styleには初期からの文章がすべて残っています。

fullindex | R-style

なんとなくですが、一度Webにアップしたものはそうそう簡単に消すべきではない、という規範性が働いているのでしょう。パーマリンクシップとも呼べる規範です。

そのおかげで、20年以上前の自分が書いた文章が今でも読めます。記録魔の私にとっては当然の状態ではあるのですが、そうでない人にとったら珍しいかもしれません。そもそも、そんなものを残す価値がイメージできない人の方が多いでしょう。

実際、それほど強い価値があるわけではありません。仮にコスパカウンターでチェックされたら、戦闘力5くらいの数字が表示されそうです。日常生活において、20年前の自分が書いた文章をいつでも読み返せることのメリットは、捻り出す方が難しいくらいです。

それでも読んでみると、面白くは感じられます。

昔の記事は政治的な言及が多いですし、文章ももっと粗雑です。今とはぜんぜん違う。そんな感じで、興味を持つテーマや文章の書き方が、大きく変化していることが自覚できます。記録がなければ、そうした変化を実感として捉えることは難しいでしょう。

時間が経てば、興味を持つテーマや文体が変わってくる。

言葉だけを見ればそりゃそうだ、という話ですが、この理解は別のテーゼに繋がります。すなわち、人はそれぞれのタイミングにおいて、そのときにしか書けないことを、そのときにしか書けない書き方で書いている、と。

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