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第一章

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西暦2080年。

産業革命から続く技術革新は留まる事を知らず、今もなお成長を続けて僕達の生活を豊かにしていた。

電車や車は全て無人運転。

家電製品はその人の脳波に合わせて作動し、その人が過ごしやすい環境を提供してくれる。開発こそされていないが、タイムマシンももうすぐできるという噂だ。正直これ以上の進歩は無いのではないかと言われている。

そんな科学技術の進歩の中でも特に発達した分野は医学だった。

ありとあらゆる病気は全て治療薬が開発され、診断技術も格段に上がり誤診などは万に一つも起こらない。不治の病なんて言葉はもはや都市伝説と化した。

これらはすべて、20年ほど前つまり僕が生まれた頃に導入された医療機器「ラプラス」によってもたらされた恩恵である。

ラプラスに血圧、体温、年齢などありとあらゆるデータを打ち込む事でその人の体調を正確に読み取り、具体的にどこに問題点があるのかが分かる。さらに驚くべき事に、導きだした健康状態からその人の寿命を正確に導き出すこともできる。

名前の由来は、物理学者のピエール=シモン・ラプラスによって提唱された空想上の生物「ラプラスの悪魔」だ。与えられたデータから寿命を算出し、さらには患者にその事実を容赦なく突きつける。これほどまでにふさわしい名前はないだろう。

僕は今その悪魔の目の前にいる。

 

別に病気になったわけじゃない。

20歳以上の国民には、年に一度の健康診断を兼ねた寿命診断が義務付けられていて今日がその日というだけ。

寿命診断用のラプラスはまだ見たことがない。

聞いた話によると少し仕様が違うらしい。

受付の指示通り部屋の中に入ると、室内はエレベーターと同じくらいの大きさになっている。

部屋の壁のところどころに見慣れないものが付いていて、少しだけ驚いた。

「それでは検査を開始します。音声案内の指示に従ってください」

女性の声で室内にアナウンスが流れる。この声を聞いてようやくこの部屋自体がラプラスであることに気づいた。人間の声にそっくりだが人工的に作られた声だ。公共施設や家電のアナウンスと声が全く一緒だ。

「本名、生年月日、現住所を教えてください」

「綾辻 慶介、2130年12月15日、H県K市Y町2-15」

「では向かって右側の赤い印に合図があるまで指をあててください」

赤い印には細いゴム管が繋がれていた。おそらく採血をするのだろう。

指をあてると予想通り自分の血液が透明な管を赤黒く染めていく。痛みは全く感じない。蚊の針を模倣した技術が使われているのだろう。

「指を離してください。次は左側にあるスティックで唾液を採取してください。採取した後は・・・・・・」

その後も似たような検査は続き、検査が全て終わったのは5時間後だった。

 

 

「検査結果は明日メールで送らせていただきます。何か病気が診断されましたら医師の指示に従ってください」

最後のアナウンスを聞き、部屋を出ると黒髪のおとなしそうな女性が壁にもたれて立っていた。

恋人の宮部 有紀だ。

「検査長かったね」

いつも通りの優しい笑顔で話しかけてくる。

「うん、もうぐったり。もしかして有紀は寝てた?」

彼女の目が赤かったから茶化すつもりで言ってみた。

「え…バレちゃった。だって検査長いんだもん」

彼女は拗ねたようにそう言った。

そうだねと僕も相槌をうち、帰ろうかと手を繋ぐ。

手を握ると彼女のぬくもりが伝わる。

このぬくもりに何度助けられたことか。五年前に僕の両親が転落事故で死んだ時もそうだった。家に引きこもった僕を毎日訪ねて心の闇を取り除いてくれた。

感謝してもしきれない。だからその分、彼女は絶対に幸せにしたいと思ってる。

「それにしても寿命がわかるってなんか嫌だな」

僕の言葉に彼女は静かにそうだねと返す。

「でも、寿命が分かるから大切に生きようとも思えるよね」

彼女はおとなしそうな顔とは裏腹にすごく強い人間だ。彼女の言葉や行動にはいつもバイタリティを感じ、そのたびに自分の弱さが嫌になる。こんな事を考えてるといつの間にか彼女に嫉妬している自分に気づく。負の連鎖だ。悪い癖なのはわかってるけど止まらない。

その日の帰り道は心なしか二人とも口数が少なかった。

検査から一週間後の朝、寝室に小さく響いたメールの受信音は僕を目覚めさせるには充分だった。

「今何時?」

50年程前から生活の主流になったウェアラブルデバイスに話しかける僕の声は、寝起きのせいかいつもより少しざらついていた。

「午前6時です」

ラプラスにも搭載されていた女性の声が静かな寝室に響く。

おかしい。アラームは7時に設定しているから、普通のメールは受信音がでないはずだ。そこまで考えて受信音の原因に気付いた。

「もしかして検査結果?」

「そのようです。内容を確認しますか?」

「うん。頼むよ」

「検査結果は以前のデータと比較しておおむね異常ありません。しかし、寿命に変化があります」

やっぱりか。なんとなく心当たりがあった。最近は友人との夜遊びが多くて不規則な生活を送っていた。その程度で寿命が変わるかはわからないがそれ以外に理由が思いつかない。

「で、何歳になったの?」

たしか前の検査では85歳だった。医療が発達した現在の平均寿命よりは少し低いが充分だろうと思った事を覚えている。

「あなたの寿命は99.99パーセントの確率で21歳と35日です。余命は45日です」