沖縄のシンボルの1つ、シーサー。民家の屋根の上にたたずむ姿を現地で、またはテレビで見たことがある方も多いかと思います。そのシーサーにも役割によって3つのパターンがあるってご存知でしたか? 沖縄在住の写真家・伊波一志さんがそのあたりをレクチャー、そしてフォトレポートしてくださっています。
喜友名(きゅうな)の石獅子群 宜野湾市喜友名
みなさんは、沖縄のシーサーってご存知ですか? 民家の屋根や門柱・玄関に鎮座しているアレです。沖縄土産の置物として、みやげもの店や那覇空港などでもたくさん並んでいますよね。おそらく、沖縄に来たことがある方のほとんどは目にしたことがあるかと思います。来たことがない方でも、シーサーが家の守り神もしくは魔除けである、という話は聞いたことがあるかもしれません。
シーサーとは沖縄方言で「獅子」のこと。スフィンクスや中国の石獅、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンではないかといわれています。琉球(王朝)には、14~15世紀にシルクロードから中国を経て伝えられたというのが通説。
ちなみに、「シーサー」と一口に言っても、実は出自というか役割に関して大きく3つに分類できます。
1.宮獅子としてのシーサー
これは宮殿や陵墓に据えられたシーサーです。首里城にあるような、対になって門番のように入口に控えているものは、琉球が中国の制度などを取入れた際に、中国の王宮のものを真似たといわれています。
2.村落獅子としてのシーサー
村落の入口などに据えられたシーサーです。17世紀後半、沖縄本島南部に位置する、東風平の富盛という集落では、たびたび起こる火事に悩まされていました。しかし、石造りのシーサーを作り奉ったところ、火難から逃れ火災が起きなくなったそう。それから、村落獅子としてのシーサーは沖縄本島、離島へと広まっていったといいます。
3.家獅子としてのシーサー
これがみなさんもよく知る、屋根や門柱に据えられたシーサーです。家獅子としてのシーサーは、庶民にも瓦葺きの家が許されるようになった明治以降に普及したものです。
さて、大変前置きが長くなってしまいましたが、今回ご紹介するのは、2.の村落獅子としてのシーサーに属する『喜友名の石獅子群』(宜野湾市指定有形民俗文化財)です。
宜野湾市喜友名は集落全体が碁盤の目のように規則正しく区画整理された古い時代の計画集落のひとつ。そこには、集落を取り囲むように7体の石彫りのシーサーが置かれています。
シーサーには集落や屋敷内に災いが入らないようにする「反し(ケーシ)」としての役割があるそうですが、そのため、喜友名のシーサーのなかには移動を繰り返しているものもあるのだとか。なぜなら、分家によって集落が広がるとそれに合わせてシーサーを移動させなければならなかったから。集落全員がシーサーの恩恵を受けられるようにしていたのですね。
ちなみに、喜友名集落を取り囲む石獅子の数は県内最多で、7体のシーサーは面構えや形もちがい、様々な表情を見ることができますよ。また、シーサーの集落への置き方、頭の方向、形の変化などを知る上で大変貴重な資料にもなっているようです。
5月の連休明けの某日、喜友名集落へ行ってきました。実は、これが2回目の訪問。正直にいうと1回目は、おおまかな情報を元にシーサーを探したところ、4体しか見つけることができませんでした。
というわけで、今回は集落の真ん中にある喜友名公民館を起点に地図を見ながら探しました。とりあえず、7体全部見つけることができましたので、簡単な紹介を。
1.トゥクイリーグヮー前のシーサー
集落の北東の縁にあり、北側を守るシーサー。横幅は1mを超え、高さも80cm程ある大きなシーサーです。かなり綺麗に形が残っています。表情もしっかりしており、前足、後足、よく見ると尻尾もあります。
2.イリーグヮー前のシーサー
北東の角を守っています。獅子というより塀からのぞいている人の顔のよう。
3.クラニーグヮー前のシーサー
集落南東を向いています。他の石獅子はほぼ村境にあるが、なぜこの1体だけ集落内にあるのか理由は分かっていません。
4.メーマシチ前のシーサー
部落の南側を守るシーサーで南東の方角を睨んでいます。風化はかなり進んでいて、台座がなければただの岩のよう。
5.メントー前のシーサー
喜友名集落の東側の外れにあり東側を守るシーサー。ただの岩にしか見えない度が最も高いです。
6.ナカムトゥ前のシーサー
仲元家(1960年代)には大きなガジュマルの木があり、当時はその中にシーサーがあったそうです(どの方角を向いていたか不明)。門口の台座に置かれたのは1988(昭和63)年で、仲元家で庭づくりをした時だそうです。由緒あるシーサーを地面に置いておくわけにはいかないということが理由で、それをきっかけに集落全体で動き出し、翌年に喜友名の石獅子群として市の有形文化財に指定されたそうです。
7.メートーヤマ前のシーサー
西側を守るシーサー。メートーヤマ前のシーサーは「ウィユクイビラ」と呼ばれていた場所の石積みの上に置かれ、その後ろにはガジュマルの木があったそうです。
ウィユクイビラとは喜友名泉と集落を結ぶ坂道の途中にある休み場で、水汲みの途中で休憩をしたり、集落の人が集まりいろいろと語り合う憩いの場だったそうです。
ところで、シーサーには、元来、名前などないようで、だいたいのものが近くの家の屋号などで呼ばれているのだとか。例えば「ナカムトゥ前のシーサー」であれば、意味は、「仲元さん家の前のシーサー」となります。なんかテーゲー(適当)で沖縄らしいでしょう。
というわけで、戦争や開発にも耐え、喜友名集落を長年守ってきた7体のシーサーに会いに行ってみませんか。石彫りのシーサーは不格好かもしれませんが、集落に同化した彼らは、とても素朴で愛らしいですよ。古い集落なので旧家や琉球王国時代から続く庭園なども見学できます。散策がてら、ぜひ。
image by:首里城公園
1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。
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