獄中でノーベル平和賞を受賞するなど、「中国民主化運動」の象徴・劉暁波氏が13日、病気のため61年の生涯を終えました。中国当局は彼の死を境に大規模デモなどが起こることを危惧し、ネットなどの検閲を強めていると伝えられますが、ここまで中国の指導部が恐れる劉暁波氏とは一体どんな人物だったのでしょうか。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で世界情勢に詳しい北野幸伯さんが、哀悼の意を込めて同氏の生涯を振り返ります。
中共がもっとも恐れた男・劉暁波さんてどんな人?
西郷隆盛さんは、こんなことを言いました。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業は成し得られぬなり。
こういう人は、メッタにいないですね。普通は、命が欲しいだけでなく、金も地位も欲しい。しかし、稀に、西郷さんが言うような人物が出て、ある国や世界に大きな影響を与えることがあります。そのような人物は、金、地位、命を超越し、正義への信念に基づいて生きている。たとえば、インド独立の父マハトマ・ガンジー。たとえば、ソ連のアンドレイ・サハロフ。
中国にも、そんな人がいました。2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんです。残念なことに、7月13日に亡くなりました。今日は、劉暁波さんの生涯を振り返ってみましょう。
劉暁波さんとは1 ~たえまぬ努力により、世界に出る
劉暁波さんは1955年、吉林省長春市に生まれました。
- 1977年、吉林大学文学部入学
- 1982年、吉林大学文学部修士号を取得
- 1982年、北京師範大学文学部修士課程入学
- 1984年、北京師範大学文学部修士号を取得
- 1984年~86年、北京師範大学文学部で教える
- 1986~88年、北京師範大学文学部博士課程で学ぶ
- 1988年、博士号取得
ここまでで、大変な勉強好きであることが理解できます。本人は好きで勉強をしていたのでしょうが、そのことが人生に大きな幸運をもたらすことになりました。1988年、ノルウェーのオスロ大学から「中国現代文学を教えて欲しい」と要請がきたのです。そして、1988年8月~11月、劉暁波さんは、ノルウェーに滞在しました。
幸運はさらに続きます。1988年12月、劉暁波さん、今度はアメリカ・ハワイ大学の要請により中国哲学・中国現代政治を教えることになりました。
- 1988年12月~89年2月までハワイ滞在
- 1989年3月、今度はなんと客員研究者としてアメリカ・コロンビア大学へ
ここからわかることはなんでしょうか?
劉暁波さんは、ノルウェー・ハワイ・(コロンビア大学のある)ニューヨークに住み、欧米先進国の物質的繁栄と自由を満喫したということ。私は元共産国家ロシアの首都モスクワに住んでいます。共産ソ連時代は、もちろん言論の自由、信教の自由がありませんでした。それで断言できますが、
- 「自由」は絶対「不自由」よりいい
- 不自由の国の人が自由を体験すると、二度と「不自由な暮らし」には戻れない
ノルウェー、アメリカ暮らしで自由の良さを知ってしまった劉暁波さん。もし、彼が「愛国者」でなければ、そのまま西側先進国にとどまる道もあったかと思われます。しかし、運命は思わぬ方向に転がっていきます。