稲作に不向きな日本を、世界の「コメどころ」に変えた先人たち

jog20170829
 

我が国では数え切れないほどのブランド米が作られ、その食味は世界一とも言われています。しかし、実は日本の土地は稲作に全く不向きであったことをご存知でしょうか。そんな地でなぜ、私たちの祖先は稲作に挑み続けたのでしょうか。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』で、その理由が明らかにされています。

コメが鍛えた日本人

日本列島は、そもそも稲作にはまったく不向きな土地であった。このことはもともと熱帯性植物であったコメが東南アジアで栽培されている様子と比較するとよく分かる。

世界をまわって稲作の研究をしている農学博士・渡部忠世(わたべ・ただよ)京都大学名誉教授のチームが東南アジアで撮影したビデオがある。それにはこんな風景が映し出されている。

広大な湿地帯か沼を思わせるデルタの深い水の中に、葦のような丈の長い食物が雑然と生い茂っている。人々は胸まで水につかりながら穂の先をちょん切るようにして刈り取っていたり、あるいは舟で水の上を滑りながら穂先を刈り取ったりしている。

 

これが「天水田」。つまり天然自然のままの水利条件に依存し、天然自然に稲が育つのを待って、できたものだけを刈り取るという素朴な稲作である。
(『コメと日本人と伊勢神宮』上之郷利昭 著/PHP)

これが稲作の原風景であった。東南アジアには、メコン川のような大河が広大な平野を流れており、その流域や海にそそぐデルタ地帯は、そのまま水をたたえた湿地帯になる。稲はそこで自生する。

日本列島のように山が海岸まで迫っているような国土では、川は短くて、流れが急である。人間が知恵を絞り地形を変えて水をコントロールしなければならなかった。

稲作には不向きな自然条件

気候条件から言っても、日本列島はコメ作りには適していなかった。稲は本来、熱帯、亜熱帯の植物である。苗は温度が8度以下になると生育が止まり、零下1度に下がると枯死してしまう。

東南アジアのような気候温暖な地域にこそ適した作物であって、そもそも雪深い新潟とか、東北地方、北海道で栽培できるような作物ではなかったのである。

コメが日本列島に入ってきたのは、最近の研究では縄文時代にさかのぼることが分かってきている。そして日本人は何千年もかけて日本列島に不向きなコメを品種改良しつつ、世界で最もおいしいコメを作り上げてきた。渡辺名誉教授はこう結論づけている。

日本は地形的にも平地が少なく、急峻な川が流れ、気候的にも温帯で、熱帯植物である稲の生育には決して恵まれた条件とはいえなかった。日本人は知恵と努力によってそれを克服して、世界的な稲作国家になったわけです。そういう意味では、劣悪な条件が日本人を鍛えたともいえます。
(同上)

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