TVが報じぬ小室哲哉「最後の言葉」は、介護問題の本質そのものだ

 

コラムにも書いたとおり、介護問題の本質は実際に冷たい雨に濡れた人じゃないとその冷たさがわからない」点です。

しかも、その雨の降り方は一様ではなく、横から殴りつけるような雨がふることもあれば、突然“ドンピカガッシャン”と雷鳴がとどろき、ショック状態に陥ることもあります。

今回、「一人で抱え込まない方がいい」という意見をたくさんいただきました。

でも、それが難しい。傘を借りようと願ったところで、傘の借り方が実に難しいのです。

私も父のことがあったときに、「どうした? 話聞くよ。言うだけでも少し楽になるかもよ」と優しい手を差し伸べてくれる友人がいました。

ところが、話すと余計にツラくなった。相手が気遣ってかけてくれる言葉と、自分の心の乱れの齟齬が大きすぎるとでもいうのでしょうか。

遠い。とにかく遠くて

「ああ、もう人に話すのはやめよう」ーー、

そう思いました。

逆に、経験者だと何も言わなくても通じるものがあって。

ちょっとしたきっかけで、「実は私も……」などと告白しあい、「お互い大変だな」といったたわいもないひと言で救われたり。

要するに、「介護」とひと言でいっても、家族の関係性、親(パートナー)の状況、仕事の問題、金銭的な問題、自分の生活……etc etc

10人いれば10通りの状況があります。

しかも、介護の最終章は大切な人を失うこと

そのすべてが、実に複雑に絡み合う。

どうほどいたらいいのかわからないほど、グチャグチャになり。

自分の頭と心と身体もバラバラで。出口の見えない廻廊に彷徨い続けてしまうのです。

介護する人と介護される人の“関係性の変化”も、しんどさのひとつです。

それまでは「父と娘」という絶対的な関係性が、変わってしまうのです。

小室さんが、「大人の女性」という言葉をつかっていたのも、KEIKOさんとの関係性の変化へのとまどいがあったのだと思います。

寄せられた意見の中には次のようなものがありました。

●私は父が脳梗塞で倒れ、そのひと月後に夫も交通事故を起こすという事態に直面しました。ホントは父の介護をしたかったのですが、ひとりではどうすることもできず施設にいれました。でも、そのことをとても後悔しています。父が新しい環境に適応できず、認知症が進んでしまったのです。

 

●10年近く母親の介護をしています。なんとか周りの助けを借りて生活していますが、先が見えない状況に息苦しさを覚えることがあります。

 

●父が他界し、母が要介護となりました。それまで仲よくしていた親戚と遺産のことでもめることになり、人間不信に陥っています。

 

●今回取り上げてくれてありがとうごいました。私はフランスで暮していますが、高齢の親と離れる選択をしたことを後悔しています。カワイさんの記事をよみ、親のことを思い出し電話をしました。

などなど、全ては紹介できずごく一部ではありますが、これを読むだけでもそれぞれの介護にそれぞれの事情があることがおわかりいただけると思います。

print
いま読まれてます

  • TVが報じぬ小室哲哉「最後の言葉」は、介護問題の本質そのものだ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け