総理は、日米の和解を劇的に演出した
この後、演説の見所がやってきます。
みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、おっしゃっています。
「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉をたたえることだ」
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のおじいさんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。
硫黄島で実際に戦ったスノーデンさん。
栗林大将のお孫さんである新藤さん。
この二人ががっちり握手する姿を見て、大きな拍手が起こりました。その場にいたアメリカ議員さんたちも、感動したことでしょう。
戦後、日本はアメリカ側につくことで繁栄した
つづいて総理は、「大戦の反省」を述べます。
戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。
自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません。
アメリカを除けば、先の大戦に関する言及はこれだけです。それで、中韓も、日本のメディアの一部も批判しています。
しかし、アメリカの反応を見れば、この部分は「十分だ」といえるでしょう。
アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。
米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
下って1980年代以降、韓国が、台湾が、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。
一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。
ここで総理は、「日本が戦後発展したのはアメリカのおかげです」といっている。確かに、ソ連に占領されていれば、戦後の発展はなかったことでしょう。