消える魔球は何球までだった?38年前の「野球盤」を遊び倒す

 

野球盤を組み立てる

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当時の子どもたちの遊び方を想像すると、かならずプレーヤーフュギュアの2~3体は欠品していて、ボールも無しといったものも多いなか、こちらはほぼ展示品として扱われていたため、付属品がすべて揃っており、程度の良い保存状態。貴重です。

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子供はパーツを無くすだろう。といったことも想定済みで、本品には部品申込みカードが付属していました。プレーヤーフィギュアやボールなど、無くなってしまったものを個別に注文できるのです。もちろん、現在では生産終了しているため利用できませんが、こういった心配りは当時からあったのですね。

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保存状態は本当に良く、球場自体も付属パーツも新品同様。38年前からタイムスリップしてきたかのようにも思えました。

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組みあがりました。1978年の巨人の面々が蘇ってくるようです。当時は第一次長嶋監督時代。1977年に王貞治がハンク・アーロンを抜く756本の本塁打世界記録を樹立、チーム自体も2年連続のリーグ優勝を果たすなど、輝かしい時代が蘇ってきます。

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ピッチャーは堀内恒夫。現在は参議院議員として活動しています。

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ファースト、王貞治。偉大なるホームラン王。

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土井正三、高田繁、河埜和正、張本勲、柴田勲、柳田真宏。そうそうたる面々。キャッチャーのフィギュアがありませんが、当時のキャッチャーは山倉和博です。

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