政権圧力はあったのか? 古舘伊知郎ら降板キャスター「最後の発言」

 

資料1:古舘伊知郎のケース

それにいたしましても、私は大変気に入っているセットとも今日でお別れということになってしまうわけです。考えてみますと私、2004年の4月5日にこの「報道ステーション」という番組は産声を上げました。それから12年の歳月があっという間に流れました。なんとか、私のテレビ局古巣である、学び舎である、このテレビ朝日に貢献できればという思いも強くあって、この大任を引き受けさせていただきました。お蔭をもちまして、皆さん、風邪などひとつ引くこともなく無遅刻無欠勤で12年やらせていただくことができました。これも、ひとえにテレビの前で今、ご覧になっている皆様方の支えあったればこそだなと、本当に痛感をしております。ありがとうございました。

私は毎日毎日、この12年間、毎日毎日、テレビ局に送られてくる皆様方からの感想、電話、メールなどをまとめたものを、ず~っと読ませていただきました。それはお褒めの言葉に喜び、そして決定的な罵倒に傷付いたこともありました。でも、全部ひっくるめて、ありがたいなと今、思っております。というのも、ふとあるとき気づくんですね。いろんなことを言ってくるけれども、考えてみたら私もこの電波という公器を使って、良かれかし、とはいえ、色んなことをしゃべらせていただいている。絶対、どこかで誰かが傷付いてるんですよね。それは、因果はめぐって自分がまた傷つけられて当然だと、だんだん素直に思えるようになりました。こういうふうに言えるようになったのも、やはり、皆さん方に育てていただいたんだなと強く思います。そして、私がこんなに元気なのになんで辞めると決意をしたのかということも簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組をやりたかったのかということにつながるんです。それは実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、普通の、司法言葉とかじゃなくて普通の言葉で、ざっくばらんなニュース番組を作りたいと真剣に思ってきたんです。ところが現実はそんなに、皆さん、甘くありませんでした。例えば、「いわゆるこれが事実上の解散宣言とみられています」。「いわゆる」が付く、「事実上」をつけなくてはいけない。「みられている」というふうに言わなくてはいけない。これはね、どうしたって必要なことなんです。やっぱりテレビ局としても放送する側としても誰かを傷付けちゃいけないということも含めて、二重、三重の、言葉の損害保険をかけなくてはいけないわけです。そして裁判でも…。自白の任意性が焦点となっています。任意性。普段、あまりそういう言葉使わないですね。本当にそういうふうに語ったのか。あるいは強制されたのかで良いわけで、本当は。例えば、これから今夜の夕食だというときに、今日の夕食は、これは接待ですか? 任意ですか? とは言わないわけです。だけど、そういうことをガチっと固めてニュースはやらなくてはいけない。そういう中で、正直申しますと、窮屈になってきました。もうちょっと私は、自分なりの言葉、しゃべりで皆さんを楽しませたいというわがままな欲求が募ってまいりました。12年、苦労してやらせていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いをして、退かせてくださいと言いました。これが真相であります。ですから、世間、巷の一部で、なんらかの直接のプレッシャー圧力が私に掛かって私は辞めさせられるとか辞めるとかそういうことでは一切ございません。ですから、そういう意味では私のこういうしゃべりや番組を支持してくださっている方にとっては、私が急に辞めるというのは裏切りにもつながります。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです。

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