従業員の「母」になる。「矢場とん」2代目女将が起こした経営革命

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名古屋めしと言えば味噌カツ、 味噌カツと言えば矢場とん、とすんなり口から出てくる程の人気店「みそかつ矢場とん」。しかし、かつては名前こそ知られていたものの、接客態度も悪く、何の特徴もない大衆食堂だったと言います。そんなお店を変えたのが2代目社長の妻でした。無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では、2代目女将が「客」と「母」という目線で店を生まれ変わらせた、驚くべき手法を紹介しています。

「甘え」と経営

以前にも述べましたが、日本の精神性は欧米や中国とは異なります。そのキーワードは「甘え」で、この言葉に該当する言葉が他言語に見つからないのだそうで「周りの人に好かれて依存できるようにしたいという日本人特有の感情」と定義されています。この「甘え」の感情は、日本の組織運営では大きな意味を持っていると言えるでしょう。

味噌カツは名古屋名物の一つですが、その発祥の店が「矢場とん」だとも言われ、行列ができる有名店としてよく知られているのだそうです。ところで、この「矢場とん」を有名店に仕上げたのは2代目社長の妻だった鈴木純子さんで、その経緯がテレ東系列の「カンブリア宮殿」で紹介されていたのですが「甘え構造の日本型経営の好事例です。

鈴木純子さんが「矢場とん」を有名店に仕上げることができた秘訣は何だったのか、それは結論からいうとビジョンの実現ということに集約されます。サラリーマンの家庭に育った鈴木純子さんは、飲食店のあるべき姿に対するイメージ(ビジョン)を強烈に持っていました。「このままではいけない」との思いにかられ、ビジョン実現のために一つ一つ課題を明らかにし、忍耐強く解決をはかって行くことになります。従業員の問題は、そのような課題のなかの重要要件の一つでした。

2代目女将となった鈴木純子さんにとって有利だったのは「矢場とん」が味噌カツ店ではそこそこ名が知られていたことです。しかし、嫁に来た当時は男性客ばかりで食器もプラスチック製という、なんの特徴もない大衆食堂でした。接客態度もあまり良くなく客足もだんだん遠ざかり、それにつれて食材の質も落とされて行くという悪循環のさなかにあったそうです。

そこから女将は巻き返しを始めようとするのですが、その頃は先代女将が店を切り盛りしており、忍耐強いやり取りをするのですが、まったく受け入れてもらえるような状況ではなかったようです。プラスチックの食器から陶器の食器に変えるのにさえ、散々の小言を言われながら3年から5年もかかって変えていったそうです。

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