そして小学生のさかなクンは、図鑑やNHKの動物生態番組で出てくる、タコなど軟体動物の権威である東京水産大学の奥谷喬司教授を知ってファンになった。「将来、奥谷先生のような立派なタコの博士になりたいです」と、タコの絵を描いて東京水産大学へ送った。すると、奥谷先生のやさしそうな直筆で、「お手紙ありがとう。日本にはタコの研究者は少ないので、一生懸命勉強してタコの先生になってくださいね。がんばってね」という返事のお手紙が返ってきた。
さかなクンは奥谷先生からの返事に感動し、卒業文集の「将来の夢」にクラスメイトたちがプロ野球選手やサッカー選手などを描く中、「将来の夢は、東京水産大学の先生になることです。そしてお魚についてみんなに伝えてあげて、自分の絵でみんなのためになるお魚の図鑑を作りたいです」と、大好きなお魚の絵とともにつづった。
やがてさかなクンは、中学3年生の時に全国でも珍しいカブトガニの人工孵化に成功し、新聞にも取り上げられた。さらに高校生の時から出場し始めたテレビ東京の『TVチャンピオン』の「全国魚通選手権」で怒涛の5連覇を達成し、ハコフグの帽子をトレードマークにして、全国にその魚の博識ぶりが知れ渡った。
2006年、さかなクンは、東京水産大学を前身とする東京海洋大学に客員准教授として迎えられ、名誉教授の奥谷喬司先生からもお祝いの手紙をもらった。そして、各地での講演やテレビ出演などで全国の人たちにお魚の魅力に伝える仕事を続け、さらに自分の絵でさかなの魅力を紹介する本も出版した。大学に進学して先生になるという正規のルートとはまるで違う道で、小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」を叶えた。
勉強ができず諦めかけていた夢を叶えられたのは、好きなことをずっと続けてこられたこと、それを支えた家族の存在だとさかなクンは語る。お魚を夢中になって観察して絵を描くために、お魚は一匹丸ごと買い、水族館や海に連れて行き、学校の勉強に関しては厳しく言わなかった母。厳格だけれど魚への興味は止めなかった父や、毎日がタコ料理やお魚料理ばかりでも文句ひとつ言わず付き合った兄の存在もある。
子どもが夢中になっている姿を見たら、「やめなさい」とすぐに否定せず、「そんなに面白いの? 教えて」と聞いてあげたら、子どもはきっと喜んで話をしてくれるはず。その小さな芽が、もしかしたら将来とんでもなく大きな木に育つかもしれない、と、さかなクンは述べている。









