聖徳太子の読み
「みんなよく考えました。冊封体制から離れて、国として中国と対等の関係になるというのが、まさしく聖徳太子の考えです。
特に最後の話し合いは大変重要です。確かに、もしこの政策によって中国からまったく学べないことになったら、留学生を送れなくなって、聖徳太子の考えた日本の発展はなくなるかもしれません。学べなくとも中国の子分でいるよりは独立を選ぶという意見がありましたが、実は聖徳太子にはある読みがあったらしいのです。ある理由があって、日本を独立させるにはこの計画は必ず成功するという確信がもてた。だから聖徳太子は決断したのです。その理由を説明しましょう」
隋は、朝鮮北部を領土とする高句麗との戦争にてこずっていた。その戦争を有利に運ぶために、隋は日本を味方にしておきたいはずだ、そういう聖徳太子の国際情勢の判断を、齋藤先生は地図を使って説明していく。遠くの国を味方にして、近くの国を攻める「遠交近攻策」という中国伝統の戦略についても説明する。子供たちから「すごいなあ」という嘆声がもれてきた。最後に齋藤先生はこうまとめた。
「中国(隋)を先生として尊敬しこれからも学んでいくが、国と国との関係は対等になりたい。中国との親分・子分関係をやめて、国としては中国と対等の関係にしたい。ズバリ言えば自立した国、独立した国になりたいと聖徳太子は考え、この国書でその考えを実行したのです」
「皇帝」と「天皇」
これに続けて、齋藤先生は次のように黒板に書いた。
「東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す」
今度はすぐに読み方を教え、全員で斉読する。「ヒムガシのテンノウ、つつしみて、ニシのコウテイにもうす」
「これは、その翌年に、再び隋の皇帝に送った国書の書き出しです。東の国日本の天皇が、西の国隋の皇帝に心をこめて申し上げる、という意味です。
聖徳太子は、このときも中国の冊封体制から外れて独立する、中国と日本を対等な関係にするという大方針を変えませんでした。それがわかる言葉はどれでしょう」
「『皇帝』と『天皇』だと思います」とすぐに一人の生徒が答えた。
「その通りです。『皇』という字は中国の『皇帝』だけが使える特別な文字でした。だから、子分の国の王様には『王』という字を使わせていたのです。ところが、この手紙で日本の王は『天皇」ですよと言ったわけです。これからは日本も『皇』の字を使います、という事です。
天皇には北極星という意味があるそうです。天の星はすべて北極星の周りを回りますね。国のまとまりの中心という感じがよく表れている言葉です。
中国の皇帝はまた怒ったでしょうが、実際はどうだったか、記録はありません。しかし、この後も遣隋使は続けられたので、隋は『天皇』という言葉を受け入れたことがわかります。この国書によって、日本の自立は完成したと見てよいでしょう。
聖徳太子は、見事に『中国から進んだ文化を学ぶ』『国としては自立し、中国と対等につきあう』という二つのねらいを実現したのです。