三山の一番南、鑓ヶ岳の名が固定したのは1880(明治13)年頃といわれる。真ん中の杓子岳、いかにも杓子を逆さまにしたような山容である。ネットで調べたら国内に杓子岳と名前がついた山はいくつかあるようだ。いつ頃からそのように呼ばれたかはわからない。
白馬岳の山麓、白馬村の歴史は明治になってから。1875(明治8)年に佐野・沢渡など5ヵ村が合併して神城村に、同じく深沢空峠新田、細野新田など8ヵ村が合併して北城村に、その後80年を経て、1956(昭和31)年にその両村が合併して現在の白馬村となった。隣の小谷村の歴史は古い、小谷の名が歴史文書に最初に現れるのは、平安から鎌倉の1190年代。先の平成大合併ブームの折り、両村も合併をすすめたがうまくいかなかった。
白馬岳とその麓の高原は、昔も今も多くの登山客、ハイカー、観光客、スキーヤーを集める信州を代表する観光スポットのひとつ。その魅力もさることながら、こうした名前の由来など知れば、更に興味が増すだろう。
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