「貧しいことを不名誉と思っていません」
江戸幕府が鎖国政策を採った理由は、キリスト教宣教師を尖兵とするスペインやポルトガルの侵略から身を守るためであったが、戦国時代に来日して、初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルは、純粋に布教を目的としていたようだ。
ザビエルは、日本人アンジロウとインドのゴアで出会った。アンジロウは8ヶ月のうちにポルトガル語の読み書きも会話も完全にマスターし、「知識に飢えていて、真理のことなどすばやく学びます」。他の日本人もアンジロウと同様であるとしたら、布教は成功するに違いない。ザビエルは「日本へ行く夢をあきらめることはどうしてもできません」と思うようになった。
ザビエルは1549年にアンジロウとともに日本に到着した。そして日本での布教の成功を確信した。「日本の国民が、この地域にいるほかのどの国民より、明らかに優秀だからです」。ザビエルは日本人をこう評している。
この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。
(同上)
「性質直にして雅風あり」
ザビエルから、さらに遡って、西暦636年頃に成立したとされている『隋書倭国伝』には次のような一節がある。日本では聖徳太子が亡くなられた直後の時代にあたる。
人すこぶる恬静(てんせい)にして、争訟まれに、盗賊すくなし。…性質直にして雅風あり。
(人はすこぶる物静かにして、争い事は少なく、盗賊も少ない。…人々の性質は素直で雅やかである。)
同様の記述は、西暦280~290年に書かれたとされる『魏志倭人伝』にも見られる。
婦人淫せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし
(婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。盗みをする者はいない、訴え事も少ない)
戦乱の絶える間が無く、騙し騙されが日常であった中国大陸から見れば、犯罪や争いの少ない、純朴な人々の住む日本は別天地のように見えたであろう。日本は有史以来「美しい国」として、外国人から賛美されてきたのである。