欧米化で消えた。あの清く貧しく美しい日本は何処に行ったのか?

 

「日本人にすべてを教える気でいたのであるが」

バード女史と同時期、明治10(1877)年から13(1880)年まで東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モースの談を聞いてみよう。東京で大森貝塚を発見した事で知られている人物である。

外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。

 

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり…これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。
(同上)

机の上に小銭を置いたままにしても召使いは一切手を触れない。街中の店では、時折店主が店を開けっ放しにして出ていくので、モースは逆に盗みに入られないかと心配するほどだった。「盗みなどの犯罪が皆無であることに驚嘆し、「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい」。

モースの母国アメリカでは、盗難防止のために、戸外の寒暖計はねじくぎで壁に留められ、噴水のひしゃくは鎖で結びつけられていた。

正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリスト教的」とも呼ばれる道徳のすべてに関しては、一冊の本を書くことも出来るくらいである。

「礼儀という点で、日本人にまさるものはない」

さらに時代を遡ってみよう。元禄3(1690)年に来日してオランダ商館付の医師として、約2年間、長崎の出島に滞在したドイツ人・エンゲルベルト・ケンペル。オランダ商館長に随行して、2回、江戸に上り、将軍にも拝謁している。日本の動植物、風俗、地理、歴史、宗教などに関心を示し、帰国後、ロンドンで出版した『日本誌』はフランス語、ドイツ語にも訳され、ゲーテやモンテスキューなども愛読したと言われている。

江戸への道すがら、ケンペルはこんな感想をもらしている。

旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが気がついたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で、日本人にまさるものはない。

 

のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。
(同上)

当時の日本は、キリスト教国の侵略から国を守るために、オランダと中国以外の国とは貿易を禁止していた。ケンペルはこの「鎖国」政策に賛成している。当時の日本は自給自足ができており、外国から物資を輸入する必要はなかった。そして、国内は戦争もなく生活水準が非常に高かった、という理由からである。

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