日本も他人事ではない。「ドーハの悲劇」カタールに迫る動乱の嵐

 

もともとペルシャ湾岸地域の中東諸国は、米・英・仏などの欧米諸国と友好関係にあった。70年代の石油危機が起こるまでは欧米資本のエクソン、シェル、シェブロンなど「セブンシスターズ」と呼ばれる大手メジャーが採掘、生産、輸送、精製、販売に至る全段階を垂直的に握り、中東産油国などを牛耳っていた

それが70年代の中東戦争、イラン革命などから中東産油国が石油利権を取り返し、消費国に直接原油を売り始めるようになる。特に60年代に創設した石油輸出国機構OPEC)が70年代に入って実権を握るようになってからは価格決定権や販売権まで握り、90年代まではメジャーに代わりOPECが実質的支配者になっていった。

しかしOPECの中も一枚岩で協力する体制を作れず、年が経つにつれ内部分裂、抗争が激しくなってきたのである。まずペルシャ系の大国イランが、イスラム原理主義的な立場をとり、核開発などを目指すようになってきたため、アラブ諸国や欧米資本との対立が激しくなってくる。

イランと大規模な石油化学プロジェクトを推進していた日本は、仲介役を期待されたが手に負えず、結局イランから手を引くのだ。しかもイランとイラクが油田を巡って戦争を始め、イラクのフセイン大統領が中東の盟主になろうと野心を持ったことから中東全体を巻き込む湾岸戦争にまで発展する。

print
いま読まれてます

  • 日本も他人事ではない。「ドーハの悲劇」カタールに迫る動乱の嵐
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け