これぞ料理人道。なぜ日本はカウンターで食べられる店が多いのか

 

カウンターに挑戦する「20世紀最高の料理人」

「なぜ料理カウンターは日本にしかないのか」、この疑問をひもとく鍵になるのが、「20世紀最高の料理人」と呼ばれるフランスのジョエル・ロブション氏である。

ロブション氏は1996(平成8)年、パリの3つ星レストランをたたみ、2003(平成15)年4月に開いた東京・六本木の店ではカウンター形式を取り入れた。なぜロブション氏はカウンター形式のレストランを始めたのか、その理由をこう語っている。

1人数万円相当を払って、かしこまって食べる。そんな店にどこか飽き足らなかった。私自身がくつろげる店を作りたかった。盛り付けなどに注いでいた神経を、お客さんと楽しく過ごすことに使いたい。

 

新店のテーマは懇親性。約50のカウンター席では、客と料理人が食材を挟んで向かい合い、気軽に語り合える。このタイプの店を世界展開する考えだ。

 

ヒントは寿司屋にあった。15年ほど前、東京・銀座の老舗(しにせ)「すきやばし次郎」に、友人の料理評論家・山本益博氏に連れられて行った。驚いた。魚の生臭さが漂わない。清潔。

 

客と会話しながら、目の前の食材をメーンディッシュとして供する。すべてが新鮮だった。来日のたびに通った。
(『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険』伊藤洋一 著/新潮新書)

料理人が「お客さんと楽しく過ごす」

ロブション氏の言う「客と料理人が食材を挟んで向かい合い気軽に語り合える」のは、カウンターならではの特徴だろう。

フランス料理や中華料理などテーブル形式のレストランでは、料理人はキッチンに籠もり、客とは断絶されている。料理人がどれほど腕を振るっておいしい料理を作ったとしても、客の喜ぶ顔を直接見る機会はほとんどないのだ。

有名なシェフがテーブルを回って挨拶をすることはあるが、それも短時間のことで、客が自分の料理をどう食べるかを観察することはできない。

カウンターなら自分の包丁さばきにお客さんが見とれたり、そうして作った料理を、目の前でお客さんがおいしそうに食べる様子を目の当たりにできる。客がお世辞など一言も言わなくとも、料理人名利に尽きるであろう。

またお客と話を咲かせるのも、カウンターならではのことである。料理人が食材や調理法の蘊蓄を語り、お客が「へえー」などと聞き入る事も多いだろう。キッチンで、黙々と料理を作っているのに比べれば、料理人にとっては至福の一時に違いない。

職人としての誇りある料理人ほど、そうした達成感を求めるだろう。「20世紀最高の料理人」が新しくカウンター形式の店を作ったのも、そうした職人としての誇りと満足のためだとすれば、よく理解できる。

「仕事に対する厳しさとは、仕事に敬意を払うこと」

しかし、いくら料理人がカウンターを望んでも、客の方でそれを受け入れる土壌がなければ、店は流行らない。たとえば客が、料理人などは下の階級だと見下し、近寄りたくもない、と考えたら、「客と料理人が気軽に語り合える」世界は実現しない。

料理人と客が対等に親しく話す、というのは日本人には当たり前だが、世界のほとんどの国では当たり前ではないのである。

ロブション氏がカウンター形式の店を東京に作った事に関して、「なぜ東京に」という質問に、「日本人は仕事に対する厳しさがあります」と答えて、こう説明している。

76年に初めて来日した時、空港でエスカレーターの手すりをふいている人を見て驚きました。他国では絶対に見られない光景です。タクシーに乗ってもとてもきれいだし、街並みも、道行くトラックもピカピカ。

 

突撃隊みたいな料理人も知っています。やけどだらけなのですが、そんなこといわずに料理に突進して、またやけどする。そんな例は、挙げたらきりがありません。

 

仕事に対する厳しさとは、仕事に敬意を払うこと。それは自分の将来にも敬意を払うことです。15歳で料理の世界に入って以来、ずっと、仕事への厳しさを教えられてきました。日本人も同じような考え方であることを知った時は、うれしく思いました。
(同上)

厳しい道を歩んできた職人を尊敬する文化がなければ、職人が客と対等に話せる料理カウンターは成立しない。

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