いずれせよ私のコラムが訴えたかったのは「まだ出来ることがあるのではないか?」(今回の場合はIoTの利用)であり「どういう老後を迎えるのが望ましいのか、自活できなくなったときの尊厳を守るにはどのような条件が必要なのか」という難しい問いに正面から向き合い、議論する必要があるのではないか? という提案であり、警鐘なのです。
最後に日経ビジネス内に掲載した91歳友人の語りの一部を以下に抜粋しますので、みなさんのご意見もお聞かせください。
「夫のような車いすの入所者は毎朝、6時過ぎになると食堂に連れて行かれます。70人近い入所者の配膳、投薬などをわずか3~4人のヘルパーが行うのですが、ヘルパーの中の2人は夜勤を終えたまま引き続き働いているので、気の毒で見ていられません。
人手が足りなすぎて物事が進まず、結局、車いすで部屋へ連れ戻されるのは9時過ぎ。つまり窮屈な車いすに3時間近くも座らされているのです。午前3時頃はぐっすり眠っている時間なのに、無理やり起こされて おむつ替えなどさせられている夫が哀れでなりません。
ヘルパーに文句を言っても『今から始めないと朝食に間に合わない』というのです。昨年6月、某有名銀行支店長の奥様が入所しました。
食事の席が同じだったので、私は早速、彼女に話しかけ、彼女はホームに入所した経緯や子供の話、他界されたご主人のことなどをよどみなく話してくれました。ところが入所後は自室でぼんやりと過ごし、娘さんも滅多に姿を現しません。
そして、半年が経過する頃、私は彼女の脳細胞が破壊されていると感じました。
とんちんかんな返事をしたり、髪は乱れたまま、服のボタンは掛け違ったままで食堂に来るようになった。
歩行も困難になり、杖、そして車いすを使うようになっていきました。
わずか1年で変わり果てた姿に驚いていますが、彼女だけではなく、他にも同じような人が数多くいます」
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