「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」はもちろん官邸主導である。座長代理をつとめた東大名誉教授、御厨貴氏は述べる。
その立場から見えたのは、今回のプロセスを通じて、官邸と宮内庁が一貫して熾烈なたたかいを続けていた、ということでした。
(朝日新聞12月2日耕論)
つまり、天皇陛下の発言で政治が動くと受け取られないようにしたい官邸が、天皇と政権との間で苦慮する宮内庁の役人たちと対立する構図にあったということ
だ。
「生前退位」のお気持ち表明のときには、NHKに事前報道させて表明会見にこぎつけた宮内庁に安倍官邸が怒り、宮内庁長官の風岡典之氏は会見からわずか1ヶ月半後に事実上、更迭された。
官邸側からは、退位を認めるけれども、退位に反対する一部保守派への配慮もあってか、やすやすとそこへ持っていくわけにはいかないという思いを強く感じました。
(御厨氏)
退位の日程をめぐっても、「18年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」を提案する官邸に対し、年末年始の宮中行事の多さから「19年3月31日退位、4月1日即位・改元」を主張する宮内庁との間で、なかなか折り合いがつかなかった。
両者のさや当てになっていたと私は思います。…元旦から新しい年号というのが分かりやすく自然でしょう。しかし、宮内庁が4月1日だといい、それを官邸側が5月1日に再びひっくり返したように見えます。改元の日はメーデーですよ。
(同)
官邸と宮内庁のバトルの結果が、19年5月1日の改元である。天皇陛下の意思とはおそらく無関係に、政治的な波紋が広がってしまった。
有識者、専門家と呼ばれる一人一人には一定の見識があっても、政治家の利害やメンツ、役所の都合もからんで、意見集約として出てくる結論は半端である。新年度がスタートする4月1日の改元でいっこうに差し支えないと筆者は思うのだが…。
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