官邸と有識者会議が天皇陛下の「譲位」を4月30日に決めた理由

 

天皇が祭司を担う祭祀は13あるが、そのなかで、古代から続いてきたものは新嘗祭だけだといわれる。あとは、明治維新にともない、古代の「祭政一致」に回帰するという理念のもとに増やされたのである。

皇族の担わねばならない宮中の儀式はあまりに多い。昨年8月、天皇陛下が「生前退位」のご意向をほのめかされたさい、次のように発言され、多くの人々が衝撃を受けた。

これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

皇室にとって、「殯」は同名の映画が描く芸術的空想の世界ではなく、現実そのものだ。「殯」をはじめとする多くの行事が皇室の方々にもたらす大きな負担。そこに思いをはせなければ、陛下の「お気持ち」は理解できないのではないか。

「殯」といっても、古代と現代のそれは違う。古代の「殯(モガリ)」について、民俗学者、和歌森太郎の著作集「古代の宗教と社会」に以下の記述がある。

死者を感情の上では断定的に死んだものとは認めきれずに、死屍を安置したところつまり喪屋で故人の遺族とか関係者が、当人がさながら生きていますかのごとくに接して、食事や歌舞を共にしたり、哭泣してよみがえりを切願したりする。それを連日連夜にわたってつまり通夜して行う。これがモガリである。

モガリは奈良時代の元明天皇の葬儀以降、実質的に廃止され、やがて、わずかに残っていた形式的モガリ儀礼も消滅した。

一度は終焉した古代の儀式「殯」が、明治天皇の葬儀で復活した背景には、維新政府の事情があった。16歳の明治天皇を押し立てて王政復古の大号令を発した維新勢力は「神武創業」をスローガンに、政権の正統性を主張した。

天皇が祭政一致で治世していた神武天皇の時代に戻るべきという後期水戸学や国学のイデオロギーをよりどころに、新政府は神道を国教化し、宮中祭祀を重んじ、神聖なる天皇を中心に国民を統合」しようと動き始めた。

こうした江戸末期から明治にはじまる新しい神話をいまだに信奉する人々が、いわば安倍政権の支持層の中核をなしている。

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