ここにも迫る中国の影。親日の中央アジアを守る手立てはあるのか

shima20180122
 

「中央アジア5カ国」の国名を挙げられても、それぞれの国の文化・経済・治安等ついて正しく答えられる人は少ないのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では中央アジアに造詣の深い嶌さんが、実は親日であるというこれらの国々を紹介するとともに、今、中国が「一帯一路」の名のもとに現代のシルクロード建設を国民の理解を十分に得ないまま行っているという現状を記しています。

中央アジア、地理的優位を生かせるか─タジキスタン、カザフスタンを訪れて─

中央アジア5カ国には長い間、関心を持っていたが、タジキスタンだけはまだ訪れたことがなかった。それが2017年11月、国際交流基金(JF)の文化使節の一員として同行させてもらうチャンスに恵まれた。私は日本ウズベキスタン協会の会長を務めているためウズベキスタンには過去数度訪れているし、他のキルギス、カザフスタン、トルクメニスタンも訪問したことはあるが、タジキスタンには縁がなかったのでよい機会だった。

ペルシャ系イスラムの小国・タジキスタン

タジキスタンは、東は中国、北はキルギス、西はウズベキスタン、南はアフガニスタンと接し人口870万人、面積14万3,100平方キロ(北海道の約2倍)、中央アジアの中ではキルギスと並んで最も小さな国だ(キルギスは面積が日本の約50%ながら人口は600万人)。宗教はイスラム教スンニ派だが、他のトルコ系の国と違ってペルシャ語系の言葉を話す。

元々、古代からイラン系民族が居住してきた土地であり、9世紀後半にはイラン系のサーマン朝が起こり、13世紀になってモンゴル、14世紀にはティムール朝(ウズベキスタン)の支配を受け、16世紀以降はウズベク系王朝の支配下にあった。19世紀後半からはロシア領となるなど複雑な歴史的経緯を持つ国だったが、1991年のソ連の崩壊でタジキスタン共和国として独立したのである。

しかし、独立直後から共産党勢力とイスラム勢力の内戦状態が長く続き、最終和平合意が成立したのは1997年6月で、内戦により約6万人が死亡したといわれる。国内が安定するまでに憲法改正、大統領選挙・議会選挙などがあり、タジキスタンの安定と復興支援のため国連の監視団やタジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が2007年まで設立されていた。この間の国連活動に関係して日本の秋野豊氏が亡くなられている

また2011年の9.11事件以降、隣接するアフガニスタン内戦の影響を受け、米軍等の空域使用、軍事施設使用なども許可してきたため国内の安定が他の中央アジア諸国に比べ大きく遅れたのである。

内戦続いた親日・山岳国

天然資源が乏しく国土の93%が山岳地帯ということもあり外国や国際機関からの支援に依存せざるを得ないのが実情だった。ただ、豊富な水力資源、綿花、アルミニウム生産などにより1990年代末からプラス成長となり、最近は6-7%の成長を遂げている。

タジキスタンでは言語大学を訪問したほかラフモン文科省次官、現地の記者との懇談、バザールの見学、使節団一行のコシノジュンコさん主催のミニファッション・ショーなどを行い親善を深め、秋野氏の慰霊碑にお参りし、献花をした。

タジキスタン側は極めて親日的で、日本の経済発展に学びたいと熱心に質問を受けた。ただ空港の便などが悪く、両国が密接な貿易関係を結ぶにはインフラの整備などが必要と痛感させられた。概して中央アジア諸国は親日的でもっと日本と強い関係を持ちたいとの希望をもっているが、往来が便利にならないと難しいと感じさせられた。タジキスタン・ドゥシャンベ空港から飛び立った飛行機から見た山々の絶景は忘れ難かった。

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