京大、伊藤忠からの引きこもり。哲学者・小川仁志の波瀾万丈半生

2018.03.05
 

グンとさかのぼって、幼少期からいきましょう。正直幼少期の私は、内向的でした。おばあちゃん子で、外ではいじめられてさえいました。言い返せない、やり返せない。特に小学校時代は転校生なうえに、好き嫌いが多くて給食が食べられない子だったので、なおさらいじめられます。挙句の果てには両親が離婚し、もう最悪です。

それでも、というかそのせいでというか、創造性は豊かだったので、いろいろアイデアを出して面白いことができる子という認識はされていったようです。先日35年ぶりに小学校の同窓会があったのですが、ある女の子(といってももう47歳ですが)にこう言われました。「昔からちょっと変わってたよね」と。高学年になるころには、結構目立つのが好きになっていました。そしてそのまま中学では目立ちたがり屋キャラが悪い方向に発展していきます。こういうのをルサンチマンというのだと思います。昔いじめられていたのが災いしたのでしょう。ルサンチマンとはドイツの哲学者ニーチェの概念で、弱者の抱く怨恨(えんこん)のようなものです。そして復讐に走るわけです。

ヤンキーが多い公立中学校だったこともあって、一時期は不良になりかけましたが、なんとか更生することができました。そうして徐々に勉強に目覚めていきます。これは決して勉強が好きだったわけではなく、勉強をしていると誰も何も文句をいわないし、それだけで尊敬されることに気づき、心地よかったからだと思います。受験競争が激しくなっていく80年代の悪い風潮に悪乗りしていた感じです。塾や家で勉強をして、学校ではふざけているという感じで。

ビーバップハイスクール並みに荒れた学校でしたが、それでも私が勉強を続けられたのには、もう一つ理由がありました。それは祖母が厳しかったことです。本当にきっちりとした人で、外で働いている母の代わりをしてくれていましたから、必然的に大きな影響を受けました。物事をきっちりやること頑張り抜くことを教えてくれたのはすべて祖母でした。もう他界したのですが、「なにくそ」が口癖で、「なにくそばあさん」と呼ぶ人さえいました。戦時中は、体の弱かった祖父に代わって、軍事訓練に行っていたほどの人です。4人の子を育てあげ、その後は私を含む兄弟3人を育てあげた人です。自分も何があってもくじけることなく、「なにくそ」の精神で頑張ってきたといいます。そして人に対しても厳しく、私も事あるごとに「なにくそで頑張れといわれてきました。

そんなふうに祖母の教育が厳しすぎたこともあってか、大学生になって以降、合コン等でその反動が出ましたが、それは仕方ないのでしょう。後にイギリスの哲学者ラッセルの幸福論』を読んでそう思いました。ラッセルもまた、祖母に厳しい教育を受けた結果、後にその反動が出てきます。彼の場合は4回結婚することになりました。私は幸い結婚は1回ですが。

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