TRFのダンサーSAMが今あえて綴る、自伝的な「今までとこれから」

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1990年代、日本を席巻した音楽ダンスユニットTRFの中心メンバーで、ダンス界のレジェンドとも言えるSAMさんが今年6月、有料メルマガ『TRF SAM 「メルマガでしか言えない、年齢に勝つトレーニングの話」』を創刊しました。今回、そのメルマガの中から、SAMさん自身の言葉で「自伝的」に綴られた「今までとこれから」を特別に公開いたします。これまであまり語られることのなかった裏話から、SAMさんの「意外な素顔」が見えてきますよ。

SAMがあえて語る、今までとこれから

ここでは、ダンサー・SAMとしての今までとこれからを自伝的に語ります。ダンサーの道を切り開きながら40年以上踊り続けてこられた秘訣について、感じてもらえたらと思います。

ダンスとの出会いはディスコだった

記念すべき第1号のメルマガなので、まず、そもそもなんで僕がダンサーになったのかっていうところからお話していこうかと。

ダンスに興味を持ったのは高1のときでした。1977年ごろ、サタデーナイトフィーバーが流行ってたころだと思うんですけど。ちょうど1970年代ってディスコブームで、クラスメイトにお兄さんが六本木のディスコで働いてる奴がいたんです。で、そいつが教室でよく踊るんですよ。それが面白くてカッコよくて、みんなでディスコ行ってみようぜってなりました。

初めてディスコに入ったときの衝撃は忘れられないですね。白いスーツの男性がフロアに出たら、ワッてサークルができて、その真ん中でめちゃくちゃカッコよく踊ってるんですよ。誰もが見入ってて、僕も後ろから見てて「ああなりたい!」って強烈に思いました。

それで週明け学校行ったら、「こんな感じだった」って見よう見まねでみんなで踊って。教えてくれる人もいないし教室はもちろんビデオもないし。「もっとうまくなりたい」と思ったらディスコ行ってマネするしかなかったんですね。それからディスコにどっぷり通うようになりました。高3になるころには歌舞伎町では結構有名になってました、、、(笑)

「ダンスで食べていけるようになろう」と決意

僕の実家は、医者の家系で学生の時は親も厳しくて、ディスコ行き始めのころは「友達の家に泊まる」とか適当なこと言ってなんとか通ってました(笑)。

70年代の都内にはほんとにいろんなディスコがあったんですけど、僕がよく行ってたのは新宿の「ブラックシープ」とか「カンタベリーハウス」のシンデレラ館とか。でもそのうち親にバレて、「友達の家になんて泊まってないでしょ、どこで何やってんの」って怒られることになるんですけど(笑)。

当時、どこのディスコにも、チームを組んでダンスショーをやるような人たちがたくさんいて。それが本当にカッコよくて、ディスコでできた仲間たちと「オレらもああなりてーな」って憧れてました。でもそういう人たちは、昼間は喫茶店のウェイターやってたり、電気屋さんで働いてたり、別に仕事があって、いわゆる“プロ”のダンサーじゃなかったんですよね。10代の僕たちは、「なんであんなにカッコいいのにダンスで食っていかないんだろう」って不思議でした。

それもまあ当然というか、当時、ディスコでやるようなソウルとかファンクとかのストリート系ダンスの価値って、全然世間に浸透してなかったんですよね。当時ダンスで食ってる人って、ジャズダンサーとかクラシックバレエダンサーとか、あとは社交ダンスの先生とか、そういう人たちだけで、ディスコダンスで生計を立ててる人はゼロだった。それで、「だったらオレらが第1号になってやろうぜ」って。「これだけカッコいいダンスなんだから、絶対もっと知られるべきだ。世の中に僕たちのダンスを広めていこうぜ」って毎晩語り合ってたんです。

ただ人前で踊るしか道がなかった

で、プロのディスコダンサーになろうと決意したのはいいんですが、進むべき“道”みたいなものは全く見えてませんでした(>_<)(笑)

ともかく「自分たちのダンスを人目につくところで踊っていくしかない」って必死でしたね。

それでいろいろなディスコでひたすら踊っていたら、「全国ディスコ協会」っていうプロのダンスチームを抱える協会のトップからスカウトされたんです。そのときちょうど高3だったので、卒業と同時にそのチームの練習に参加し始めました。それまでは我流のダンスを仲間内でやってたんですけど、そこで初めてちゃんとしたダンスっていうのを学んで、ちょっとプロっぽくなってきて。でもまだダンスで生計立てるには全然で、ディスコでウェイターのバイトをやりながらステージにも立つみたいな感じでした。

その後紆余曲折を経てTRFに入って、様々な曲がヒットしたことで、ようやく世間一般に「ストリート系ダンサー」っていう存在が認知され始めた感じがあったんですが…この続きはまた次号からにしようと思います。

最近はテレビに出てるアーティストの大半がバックダンサーをつけていたり、歌って踊れるアーティストが大人気だったりします。昔はストリートダンスを学びたければディスコに通うしかなかったけど、今はダンス教室もたくさんあるし、講師もたくさんいます。2012年には中学校の体育の授業でダンスが必修科目になったりと、本当、僕らが10代20代のころには考えられなかったことばっかりですね。

僕はずっと「ダンスのカッコよさをもっとたくさんの人に知ってもらいたい」っていう気持ちだけで踊ってきたので、それが今のダンス文化に繋がってるんなら本望ですね(`_´)ゞ

もっとSAMさんについて知りたい方へ、メルマガの詳細はコチラ

 

「50まで踊ってようぜ」から「死ぬまで踊ろうぜ」へ

冒頭でも書いた通り、僕らの10代20代の頃って「何歳まで踊れるかな」「50代になっても絶対踊ってようぜ」みたいなこと言い合ってたんですけど、それってその時に50代60代で踊ってる人がいなかったからなんですよね。50になっても踊ってられるかな?って疑問だったというか、想像できなかったからこそ、「オレたちが第1号になろうぜ」って決意しあっていたというか。当時の「50歳」のイメージってもっとおっさんっていう感じだったので。

そして今、宣言通りというか、無事50を過ぎても現役で踊れているわけで。最近「何歳まで踊るんですか?」とか聞かれることも増えてきましたけど、別にもう年齢とか関係なくて。このまま踊れる限り踊ろうと思ってます。人前で披露するかどうかは別の話ですけど、70代、80代になってもやめるつもりは一切ないし、「死ぬまで踊ろうぜ」みたいなスタンスでいるので。ライフワークっていうか、体が動く限りは多分ずっと踊っていくと思います。

今の時代って、世の中全体に「年齢に負けなくていい」みたいな空気が広がりつつあると思うんですよね。アスリートだって、昔は「ある程度の歳になったらもう使い物にならないから引退」みたいな風潮もありましたけど、今は50近くでバリバリ現役で活躍してる選手とかたくさんいる。サッカーのキング・カズも51だけど、彼も第一線でやっています。

そういう前例があると、「僕らもまだまだいけるじゃん」って空気が出て来る。それがすごくいいなと思っていて。

僕は、50とか60から新しいこと始めるとかっていうのも全然ありだと思う。昔はハナから「この歳じゃ無理だ」って片付けちゃってたことに、トライできるようになった人が増えてると思っています。そのための体のメンテナンス、コンディショニング的なことの知識もどんどん広がっている。だから読者のみなさんも、年齢に負けずに、「生涯現役」で好きなことに打ち込んでいてほしいと思います。

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