先輩・OBの理不尽なしごき、女子生徒へのセクハラ、後輩のバイト代ピンハネなどなど、半世紀前の人気漫画「嗚呼!! 花の応援団」には応援団や運動部の傍若無人ぶりがこれでもかとばかりに描かれています。この頃よりはスポーツ界も少しはマシになったのでしょうか。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、歴史学者・占部賢志さんと学校関係者との対談を通して、これまでスポーツマンが健全だったか歴史的な視点からの解明を試みています。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」って本当?
占部賢志先生に、最近頻発しているスポーツ界での問題について、その核心部分を論じていただきました。
占部 「『健全なる精神は健全なる身体に宿る』という有名な言葉がありますね。スポーツを礼賛するうえでよく使われる、古代ローマの諷刺詩人ユウェナーリスの言葉として知られていますが、実はこれ誤訳なんです。
PTA役員 「えっ、身体が健全であってはじめて健全な心は育つのだから、大いにスポーツで身体を鍛えなさいという教えではないんですか?」
占部 「ユウェナーリスはそういう意味で使っていません。これは『ローマ諷刺詩集』(岩波文庫)に出て来ますが、原文に忠実に訳すなら、『健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい』と表現するのが正しい。あるいは、『健全なる精神は健全なる身体に宿れかし』とも言います」
PTA役員 「『宿れかし』」?
占部 「願望ですね。宿ってほしいものだ、という意味になります」
教師A 「ということは、断定じゃないんですね」
占部 「そうです。ユウェナーリスが諷刺詩を書いた2世紀頃のローマ帝国は『パックス・ロマーナ』と呼ばれる戦争のない太平の世の中になります。その結果、どうなったか。しだいに道徳的頽廃が社会を覆うのです」
教師B 「今の日本社会に似ていて、ちょっとドキリとしますね」
教師C 「そうすると、必ずしも『健全なる精神』が『健全なる身体』に宿るとは限らないということですね」
占部 「ええ。世の中をよく見てみろ。身体能力が高いのに、風紀を乱すやからが跳梁しているではないか。そういう現実認識が背景にあって出て来た言葉なのです。ですから、スポーツは日々の努力と汗の結晶であり、そのスポーツに打ち込んでいる者に悪人はいないなどと胸を張るのは自由ですが、まことに底の浅い人間観だと言わざるを得ませんね」
PTA役員 「たしかにそうでね。今年だけでも、大相撲にはじまって、レスリング、アメフト、ボクシング、居合道、そして現在開催中のアジア大会における日本男子バスケットチームの一部選手による買春問題など、次から次へと指導者からも選手からも不祥事が続きます。なんだか、スポーツの世界はバケツの底が抜けたみたいです」
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