日本からノーベル賞が出なくなる、教育現場の耳を疑う「常識」

 

個人的な話になりますが、私は中学校理科の教科書の編集委員をやっているのですが、今の教育の中で子どもたちに「考える」ことを学ばせるのはとても難しい。

例えば、「なぜ雲は空に浮かんでいるのか考えてみましょう」という課題を与える時間を設けることを提案したことがあります。

この問いの答えは何でもいい。大切なのは「なぜ?」を考えることです。

「雲が浮いているのは、雲が軽いから」

「雲が浮いているのは、浮いているように見ているだけでホントはどんどん下がってきている」

「雲が浮いているのは、雲は実は地上まで続く柱みたいなっていて上空にいくほど温度が低いから、水蒸気でいられなくなって雲粒ができた」

などなど答えは本人の自由。10人いれば10通りの考え方があってかまいません。

実際「夜光雲」という雲は、いまだに発生のメカニズムが完全に解明されず

  • 二酸化炭素やメタンガスの増加によって対流圏の気温が上昇し、それに伴い中間圏の気温が低下したために発生しやすくなったという説
  • スペースシャトルからの排気に含まれる水蒸気が、一部の夜光雲の発生に関連しているとの説

などが存在します。

しかも、夜光雲はかつては極域以外ではほぼ見られませんでしたが、近年、米国と欧州の温暖な中緯度地域の空に頻繁に出現する現象がとらえられたり過去25年間で明るくなり頻度も多くなっていたり、それらの理由も明らかにされていません

つまり、「なぜ、雲は空に浮かんでいるのか考えみましょう」という設問は知的な遊び

自由に考えることは楽しいし、知的好奇心が刺激され、自主的に学ぶ力が高まるきっかけになります。

ところが、私の提案は「ダメ出し」をくらいました。

先生が困る、と。「上昇気流があるから」という答えを子供たちが出さないと先生たちが困るのというのです。

「教師は授業でやったことは、テストにして知識の確認をしなければならないので、はっきりとした正解がないとダメなんです」

現場の先生がこう教えてくれました。

考えるとは無限大に答えの可能性が広がっていくことなのに、たった1つの「オトナが用意した答えにたどり着くことが考えることだと勘違いしているのです。

print
いま読まれてます

  • 日本からノーベル賞が出なくなる、教育現場の耳を疑う「常識」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け