【書評】あの日航機墜落が「事故」ではなく「事件」だった証拠

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未だに謎が多いとされ、メディアでも度々とりあげられる1985年に起きた「日航機墜落事故」。その事故の生存者の同僚が詳細に調べあげた新事実を綴った一冊を、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんがレビューしています。

偏屈BOOK案内:青山透子『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』

912VLX+po8L日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る
青山透子 著・河出書房新社

1985年8月12日(月)。日航ジャンボ機123便(ボーイング747)が、羽田空港を離陸して伊丹空港に向かう途中、突発的非常事態に陥り、後に「御巣鷹の尾根」と命名された高天原山系無名の地に墜落し、乗員乗客524名のうち、520名が死亡する「日航機墜落事故」が起きた。この日のことはまだ記憶にある。

わたしは39歳、出版社の編集者で、かなり自分勝手なポジションにいて、その前日、伊丹から日航機で帰ってきた(京都と大阪で遊んでいたのだ)。家族は小諸市の別荘(当時はそんなものを所有していた)いた。夜7時のニュースの終了直前に最初の報道があった。少し経って、小諸からの電話に出た。当時11歳の息子が「いたよー、帰っているよー」と叫んでいた。……あれから33年経った。

当時の報道では、事故原因はボーイング社の圧力隔壁修理ミスだとされたようだったが、真相は“藪の中”だと思った。25年後、生存者の落合由美さんの同僚だった青山透子さんが、客室乗務員の仕事のことや、事故原因への疑問をまとめた『天空の星たちへ-日航機123便 あの日の記憶』を出版した。

翌2011年7月、運輸省安全委員会は、数々の疑問に答えるとして「日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説」を発表した。その内容はといえば、「圧力隔壁説の補強論だった。反論に対する記述や目撃情報、聞き取り調査も、生存者の証言もない、必死な言い訳に過ぎなかった

このままでは、123便墜落そのものも永遠に葬りされてしまう。当時を知る客席乗務員として、日本航空の関係者として不明な点を明らかにしなければならないと責任感にかられた著者は、丹念に目撃情報を集め、再度資料を読み返してまとめたのが本書である。日航退社後、企業等の接遇教育に携わり、専門学校・大学講師を務め、東京大学大学院博士課程修了博士号を取得している。

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