「なぜそうするのか」を繰り返し本質を見極めるのは、決して楽なことではありません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師でもある松尾英明さんが、運動会を前にして行われている「事前作業」を例にとり、教育現場において根拠を突き詰め思考を深めることがいかに大切かを説いています
根拠を問う
読者の方から、一つ問題提起となるメールが来た。一部改変して紹介する。
うちの子が通う小学校では、運動会の徒競走は、事前にタイムを測って、遅い順から組ませている様子です。
なぜそんな事をする必要があるのか、とても疑問です。運動会で花形になる子達がいていいじゃないか、みんなですごいね!と言ってあげればいいじゃないか、と思ってしまいます。
そして、もっと怖いと思う事は、子ども達がそのやり方を知っていて、タイムを測る時に、力を抜いて走るのです。子ども達が、それを自慢げに話しているのを聞き、愕然としました。「だから今年は1位取れそう」って。
これって完全に真逆のメッセージを子ども達に伝えていませんか。他の学校でも聞いた事があり、このやり方は、よくあるやり方なのでしょうか。そして、何か理由があるのでしょうか。
どうだろうか。
この指摘の通り、本来目指す方向と真逆に育つ。子どもは、賢いのである。子どもにとって、運動会の徒競走の順位は、結構な重大事である。
なぜ教師の側もこの方法でやるのか。そこについて、特に深く考えてない、あるいは気付いていないからである。教師の立場をかばう訳ではないが、そこに悪意はない。むしろ、善意である。
なぜ?気付いていないからである。理由は?考えていないからである。何のためにやるのか。それは、子どもが逆の方向に育たないか。そこに思いが至らないのである。
こういうことは、学校の中に結構な割合である。「毎年そうだから」とか「ずっと前から当たり前」とか「思い付き」とかでやっていないか。いつもやっていることを、「当たり前」で片付けてしまう。反省的思考がないこと自体が問題なのである。
競わせたりランクをつけたり点数にこだわったりする際、この負の教育効果を発揮しやすい。行うならば、子どもの思考と心がそれでどう育つか、結果をよくよく考える。特に能力別のグループ分けは、かなり慎重に方法を検討しないと、大失敗しやすい。
それは本当にいいことなのか。あるいは、本当にいるのか。何のためにやっているのか。当たり前のように採用している方法すべてに必要な「仕分け・検討作業」である。
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