最後に
いじめの中には「死」を連想させるものも多くある。現実味がない「死」を様々な影響から簡単に口にしてしまうのは、子どもの性なのかもしれない。
しかし、直接的に「死」をまるで強要するかのようないじめは、もはやいじめの範疇も超えていると言える。本件は少なからずいじめの認定は出ているが、その細部については杜撰そのものであり、否定しきれない状況に致し方なく、いじめを認定したきらいがある。
さらに付け加えれば、こうしたいじめ被害について、被害側は救済措置を受けておらず、いじめに対する指導がしっかり行われたという記録もない。ほとんどは、放置であり、教育局は、学校は、やることはやりましたというような無効果の行為がパフォーマンスであったと評価できる。
だからこそ、加害者は何の反省もしていない。これには根拠がある。写真として示す下記のものは、実際に加害者がSNSのステイタスに書き込んだ記録である。
不登校に至るような酷いいじめは発生していませんと言いたいのであれば、予防教育からどうしても起きてしまういじめについての対応と解消まで、詭弁で取り繕うことなく、正直に誠実な対応をすべきであろう。
そうでなければ、上っ面の指導では、その効果はない。加害者は何もなかったかのように学校に通い青春を謳歌し、被害者は苦しみ続け、救済の道もなく、本来あったはずの楽しい思い出や学びを失うのだ。
そして。
もはやAさんの貴重な時間は戻ることはないのだから、せめて今後のつくば市のいじめ対策のためにも、再調査を行い、どこに問題があったのか再検証することが望ましい。
編集後記
常々思いますが、学校の調査も教育委員会や第三者委員会の調査も慎重に行うにしても遅過ぎます。この件では2ヶ月で調査をしたとありますが、事実は全く異なります。
そして、調査期間においては、暫定措置もないままであり、被害者側が安全確保のために学校に通えない状況になったのです。遅さは、被害者の教室復帰が望めないほど深刻な不登校になってしまいます。それは、教育の機会損失を助長してしまう結果を招くだけではなく、貴重な時間、本来はあったはずの楽しい思い出なども全てがないものになってしまうのです。
そして、Aさんは聞くところによれば卒業アルバムに写真がないとのことでした。なぜ、そこまで学校はするのか、私には理解できません。
つくば市が詭弁ではなく、被害側にしっかり向き合い、誠実な対応を行動として示すことを、あまり期待はしていませんが…、期待します。
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