そもそもなぜ、女性の賃金は低いのか?なぜ、日本は欧米に比べ賃金の男女格差が大きいのか?
「パート」という言葉に、その答えが存在します。
高度成長期、日本企業の多くは主婦を「パート」として安い賃金で雇うことで、人手不足を補ってきました。
当時はパートはあくまでも「補助的な存在」だったので、賃金も安くて当然だと考えられていました。
ところが、次第に熟練したスキルを持つパート従業員が現場を支えるようになり、賃金格差が問題視されるようになってきました。
しかしながら、企業はパートの担い手が主婦がだったことを理由に「男性正社員とは身分が違う」と全く賃金格差を解消しようとしませんでした。
そして、正社員の賃金が職務給や年功制で上がっていくことを正当化するために、「能力」という言葉を多用し賃金格差を問題視する視点そのものを消滅させてしまったのです。
現在も「能力」という言葉で非正規と正規雇用の格差を正当化する手法は一向に変わっていません。女性にはその論理が、色濃く反映されているのです。
前述したとおり、本来「働く」という行為には、経済的利点以外にも「人の生きる力」を引き出すリソースが存在します。能力発揮の機会、自由裁量、他人との接触、身体及び精神的活動、1日の時間配分、生活の安定、定期的な休息などは、すべて働くことで得られるリソースです。
リソースは世の中にあまねく存在するストレッサー(ストレスの原因)の回避、処理に役立つもののことで、ウェルビーイングを高める役目を担っています。ニーチェが仕事を「人間の背骨」に喩え、マズローが「幸せな人はみなやりがいのある仕事をしていた」とするのもこのためです。