国際交渉人が警戒。中東地域に嵐を呼ぶトルコの「危険なあそび」

 

話は少しずれますが、どうしてアメリカの歴代政権は、ここまでイランを敵対視するのでしょうか?

1979年11月~1981年1月20日に起こったテヘランの米国大使館占拠事件に起因するのではありません。心理的には影響はあるでしょうし、1979年2月に起こったイラン革命の結果、アメリカへの対決姿勢が明確に示されたこともあり、アメリカの対イラン政策を転換させた要因だと思われますが、実際には、アメリカは、イランと地域での覇権を争うイスラエルに肩入れせざるを得ないからです。

それは、アメリカ国内政治において占めるユダヤ人コミュニティーの絶大な政治力が背景にあります。イスラエルを敵と定め、その存在を認めず、徹底的な抗戦を掲げるイランを、イスラエルを推すアメリカは、政治的に攻撃せざるを得ないのです。

そこに中東地域におけるイスラム教の宗派の間の主導権争いが絡みます。イスラム教シーア派の国であるイランは、サウジアラビアを筆頭とするスンニ派の国々に囲まれ、直接的な主導権争いをしつつ、スンニ派国の中でシーア派の勢力拡大を図るべく、イラン革命防衛隊にトレーニングされたゲリラ活動を実施しています。

この鍔迫り合いは、イラン核合意の下、比較的にイランをめぐる国際情勢が緩やかな雰囲気を楽しんでいる裏でも、変わらず続いていて、中東地域の不安定要因を作り出しています。この衝突が、これからさらに激化するという見込みが出来てきています。その懸念を大きくさせているのが、アメリカへの対抗心からイランをサポートするロシアと中国の影の強まりです。

例えば、国連安全保障理事会でイラン制裁関連の議題が上がれば、ロシアと中国は拒否権の発動をチラつかせ、議題を抹殺するか、もしくは大幅に修正させ、害のない内容になった時点で棄権するという外交を行ってきましたが(注:核合意は国連の枠組みの外で構築されたもの)、アメリカが核合意からの離脱を行い、その上でイランへの制裁強化を断行したことをうけ、中国とロシアは、イラン支援に直接的に関与するようになってきました。

その結果、イランとイスラエル、そしてシーア派とスンニ派の争いは、米ロ中国を巻き込んだ大国間の“いざこざ”へと姿を変えることになっています。そして、この非常にデリケートなバランスを保つ支点となっているのが、『地域の大国、トルコ』です。

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