テレビやラジオなどの放送局が、国から周波数を割り当てられている許認可事業であることは周知のとおりだ。キー局、地方局は、政府の認可のもと、系列化され、政府に間接的にコントロールされている。系列化の仕組みをつくった張本人は、旧郵政省を思うがままに動かした田中角栄氏だ。
田中角栄氏の死後、電波行政への強大な影響力を引き継いだのは金丸信氏であり、金丸氏のあとは野中広務氏である。
新聞社は郵政省(現・総務省)記者クラブにベテラン記者を配置し、競って新テレビ局開局の認可をとり、自社系列化してきた。総務省とその族議員が、新聞、テレビの経営に隠然たる影響力をもっているのも、こうした背景を抜きには語れない。
系列は大手新聞、キー局にとっても新規参入を防げる都合のいいシステムだ。地上波をデジタル化したことにも系列の原理が働いていた。
衛星デジタルとケーブルを組み合わせればローカルの編成もでき、全コストは100億円ていどですむ。なのに、わざわざ民放全127社で1兆円以上もかかる地デジに固執した。
2011年に地上アナログ放送が終わるまでの約10年間、政府はデジタル化を進める業界を助けるため巨額の国費を注ぎ込んだが、当事者でもある大手メディアが報じないこともあり、具体的な数字は明らかになっていない。
ここまでして地デジ化した理由の一つは、地方局の権益、免許を守るためだったといわれる。デジタル化を地上波でなく日本全国どこでも受信できるBSにすればどうなったか。地方の民放局はほとんど存在価値を失うだろう。
地方局は自ら番組を制作せず、キー局の番組をそのまま流すことで、キー局から広告料金の分配を受けている。地デジ化により、コストは高くついたが、儲けの構造を温存できたのだ。各地方局の背後でも地元の政治家が蠢き、地デジ化にあたって国からの補助金を引き出したのは言うまでもない。
日本のテレビ業界は既得権のぬるま湯につかったままだ。その延長線上に、大手芸能会社との癒着関係があり、人気タレントの話術に過度に依存した番組づくりがある。
吉本興業にしてもジャニーズ事務所にしても、まさにその所属タレントは今の日本のテレビ界に欠かせない存在だ。そこまで隆盛に至るまでの企業の努力は賞賛すべきであろう。だが、彼らを使って視聴率を上げようとするテレビの安直な制作手法には疑問を感じる。
どのチャンネルにも同じような顔ぶれが出演し独自性など皆無に等しい。それでも各局が生きていけるのは、競争が限定的だからである。まだ周波数帯が余っているにもかかわらず、地上波チャンネルが増えないのは、コストやコンテンツの問題もさることながら、許認可権を持つ政府が各系列以外の新規参入を規制している面もあるのではないだろうか。
もっと多チャンネル化して、独自性のある番組編成がそれぞれの局に求められるようになれば、テレビの作り出す価値が多様化し、特定のタレントや芸能事務所に富と力が集中することなど無くなるかもしれない。
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