なぜ日本では「スポーツで稼ぐことが不道徳」とされてきたのか?

shutterstock_650154391
 

東京五輪まであと1年を切り、ラグビーW杯が連日話題となっている我が日本ですが、ほんの少し前までは「スポーツで稼ぐのは不道徳」という意識が残っていたことも事実です。果たして、スポーツ真っ盛りの現代日本では、その意識は本当に変わったのでしょうか。今回の無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』では著者の梅本泰則さんが、新札の顔になることが決まった実業家・渋沢栄一の名著『論語と算盤』の内容を紹介しつつ、スポーツを通じてお金を稼ぐことの正しさを説いています。

スポーツと算盤

『論語と算盤』という書物があります。新一万円札の肖像となる渋沢栄一が書いたものです。

ご存知のように渋沢栄一は日本資本主義の父と言われています。明治時代に、今の日本経済の基礎となる500社の企業を立ち上げた業績は、驚くべきことです。実はその時代、道徳と商売は両立しないと言われていました。簡単に言えば、道徳心をもってお金を稼ぐのは無理だということです。

しかし渋沢は『論語と算盤』の中で、その考え方をきっぱりと否定しました。それどころか、道徳心の伴わない商売は成功しないとさえ言っているのです。

では、どうして道徳と商売は両立しないと思われてきたのでしょうか。

徳川以来、日本の道徳観は武士道をベースにしてきました。例えば、「正義」「廉直」「義侠」「敢為」「義教」「礼譲」といったもので、これらは今の日本でも生きています。そして、その道徳観の中には、武士は「損得勘定」を考えてはいけない、といったものがありました。ですから武士は決して商売はしません。

この道徳観は「論語」から出てきたようですが実は「論語」にはそんなことは書いてありません。正しい考え方と正しい行いをもって富を得るのは正しいことだと書いてあります。さらにいえば、自分の利益だけを考えるのではなく他人の利益を考えるのが正しい道だとも。

渋沢は、だからこそ道徳と商売は両立させなければいけないと訴えています。江戸時代の人たちはどこで誤解をしたのでしょうか。

■スポーツと算盤

さて、ここでスポーツのことを考えてみましょう。

日本のスポーツには武士道の精神が引き継がれていきました。日本のスポーツは武道がその源ですから、仕方がない面があります。

武士道においては、損得勘定を考えてはいけませんでしたからスポーツで利益を出すのは卑しいことだという感覚が定着していきました。ですから、スポーツとお金は相いれないものとされてしまったのです。ここには『論語と算盤』の考え方はありません。

そんな流れが明治以来、脈々と続いていきました。そのため、日本最大のスポーツ団体であるプロ野球にしても利益を出している球団はわずかです。実業団のようなアマチュアスポーツにいたってはなおさら利益を考えることはありません。スポーツで稼ぐのは不道徳だという意識があるからです。

ところが、最近ではその風向きが変わってきました。国は、スポーツを利益を生む産業として位置づけたのです。つまり、スポーツを通じて金を稼ぐことは正しいことだと宣言しました。

そのためのスポーツ行政を進めていく方向に舵を切っています。まさに『論語と算盤』と同じ考え方です。いわば「スポーツと算盤」言い換えてもいいでしょう。素晴らしいことですね。

そして今まで、スポーツで必死に稼いできたのは、スポーツ用品業界です。いよいよスポーツ用品業界の出番と言ってもいいでしょう。なぜなら、業界の人たちは稼ぎ方を知っているからです。そして、経営経験の豊富な人材をたくさん抱えています。さらには、スポーツそのものに精通しているではありませんか。そんな人材を、スポーツ産業界は積極的に活用するべきです。

print
いま読まれてます

  • なぜ日本では「スポーツで稼ぐことが不道徳」とされてきたのか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け