NHKの連続テレビ小説や大河ドラマを担当するなど脚本家として大活躍の内館牧子氏。女性ならではの鋭い視点から数々の名作を生み出してきました。ドラマや映画の脚本だけではなく、小説やエッセイの作家としても活躍されている内館さん。昨年同時発売した『男の不作法』『女の不作法』は大きな話題となりました。その内の『女の不作法』について、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の著者で編集長の柴田忠男さんが、本に込められた内容の本質に迫っていきます。
偏屈BOOK案内:内館牧子『女の不作法』
『女の不作法』
内館牧子 著/幻冬舎
私って底意地が悪いんです。とキッパリ書くから、内館さん、大好き。『男の不作法』を先に読んで我が身を振り返り、おおいに恐縮したものだが、それでわたしの作法が少しはまともになったかというと、自信はない。『女の不作法』の項目は60以上の候補があったが、老若男女の意見を参考に、30項目に絞った。書くべきは書いたが、かなり気を遣ったと本音をもらす。女性は怖いからな。
本人の恥ずかしい話も披露する。全然好きなタイプではないが、結婚相手として悪くないと気づいたエリート男がいた。彼を逃がす手はない。なんとか彼と恋人ランクに進めるよう、似合わないブリッコもいとわず、上を目指して努力した。今になって思えばあの程度の男は幾らでもいる。当時の彼女は気づかなかった。一方、若きエリート君は「俺ほどの男はいない」と自信満々である。
ある時、突然「俺、結婚して下さいって両手つく女なら結婚するよ」と言われた。驚愕した彼女は反射的に「両手をつくのは相撲の立ち合いだけよ」と言い放つ。うまい!「私ながら、見事なうっちゃりではないか」。男のプライドは傷つき、しばらくしてから会社の年上の女子社員と婚約した。両手をついた女なのだろう。立派、でも私にはできないと、腹の中でちょっとせせら笑った。
だが、今になって思う。人生で「ここぞ!」という時に身を捨てることは、何の恥でもない。プライドなんてなんぼのもンよ、当時そういう境地に達していた覚悟ある女性たちがいて、自分の幸せをつかみとったのだ。ならば、あの時、内館も両手をつけばよかったのか。いや、今でも身を捨てる性分ではない。若い頃の「私にはできない」が、今では「舐めンなよ」になった彼女……。
女友達4人との会話で、一人が「若い女の人の言ってること、わかる?」と困ったように言った。「話の内容ではなくて、言ってる言葉よ。聞き取れる?私、全然ダメ。娘や姪の言ってることも聞き取れるのは……半分くらいかな」。すると、聞き取りにくいよねえ、何言ってるのかわかんない、わけわかんないから「はい」と言ったら高い商品を買わされた、など次々と反応がある。
内館先生は大学の第一回目の授業で必ず言う。毎回作品の合評会をやるが、語尾までしっかり言うこと、大きな声でハッキリ言うこと、ピヨピヨしゃべるな、カン高い声を出すな、語尾を上げるな、どれかひとつでもダメなときはやり直し。音声学のスペシャリストによれば、日本の若い女性の声は、先進国の中では信じられないほど高い。無意識に声を高くつくっている人が大勢いる。
「女の不作法って、どんな時に感じますか?」と幅広い年代の男女に聞いたところ、年代による違いは当然と思っていたものの、興味深いことが度々あった。顕著な例が「自分の大変さを訴える不作法」である。いい歳した女性が放つ、「仕事に、子育てに、家事が大変」の自己宣伝。若い男女からはすごく聞き苦しい、と猛反発。「ろくに聞いちゃいないけどね。言ってろ!みたいな~」
内館がこの本を書きながら痛感したのは、自慢でも愚痴でも自信でも、一言二言なら不作法とまでは思われまい。垂れ流しの「過剰」が何よりもまずいということだ。そう気づくと、意識しておさえ込むことが何よりの作法だ。分かりました。私って底意地が悪いうえに過剰なので痛い目に遭うってこと。
編集長 柴田忠男
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