配慮?フレンドリー?NY日本人社長が感じた日本人の奇妙な距離感

 

日本人とアメリカ人の違い

その後、有楽町のカフェでお客さんと打ち合わせを済ませた後、一人、そのカフェに残りました。出版社からもらった3冊の本にサインするためです。一つは妻に。一つは娘に。一つは息子に。

帰国してからゆっくりしても良かったものを、この日11月11日にサインすることになんとなくの意味を感じたからでした。子供達二人にはおそらく10年後くらいに渡すつもりです。発刊した当日にサインした、とその日に言うつもりです。

そんな気持ちで自著にサインをしていたところ、隣の30代後半くらい(?)の女性ふたりの会話が耳に入ってきました。 決して盗み聞きしていたわけでもなかったのですが、嫌でも耳に入ってきます。

「じゃあさ、じゃあさ、キムタクが一緒に暮らしたいって言ってきたらどうする?」
「うーん…アタシは嫌かな。 24時間カッコつけられそうで疲れる」
「だよねー、アタシも断るかな。 悩んだ挙句、ごめんなさいって言うと思う」
「アタシはソッコー断るわ。 でも、しつこそうじゃない?自信ある分、素直になれよって言い出しそう」
どうしても気になったので、ふと二人の顔を見てしまう。愕然としてしまう。「えっ!」と声に出そうになるのを必死で堪える。芸能人って大変だな…。

その後、たった一人で、昔から知ってる、有楽町の少しだけ高級なお寿司屋さんに入って、たった一人で祝杯をあげました。

ホテルの横にあるコンビニに毎晩のように通っていたところ、ある日ふと気づきます。 あ、かなりオレ、KYになってるな、と。(今、日本ではほとんどKYという言葉も使わないのだとか)。

そのコンビニは角地に位置し、店内の構造がかなり狭く歪な内装でした。 毎回レジ横のアイスコーヒーを買うのですが、マシーンがドリップしている間、結構な時間そこで待たされます。 普通にその場に立ってコーヒーが淹れ上がるのを待っていると、僕のすぐ後のお客さんの帰り道を僕自体がふさいでいることに気がつきました。

来る人、来る人、みんなが棚を迂回して遠回りで出口に向かっていたことに気がつきました。 他のコーヒーを買うお客さんは、コーヒーを待っている間も少し体をずらし、他のお客さんのために通り道を作っていました。 僕は、真ん中に立って堂々とみなさんの退店を邪魔していた。

それに気づくと少し恥ずかしくなり、体を隅っこに避けるようになりました。 ニューヨークだとまず必ず声をかけてくれます、「エクスキューズ・ミー」と。もしくは、「どけよ、こら」と。自分が邪魔になっていることに気付かされる。

なので、その場で「あ、ごめん」と道を空ければいい。でも日本だと見ず知らずの人に話しかけるくらいなら、ほんの数メートル、歩幅にして7~8歩遠回りすればいい、と考える人が圧倒的多数だということを忘れていました。

そんな自分の勝手な行為に少し反省し、恥ずかしくなると同時に「ひとこと言ってくれればいいのに」と思わないでもない自分もいます。 人との距離感が、ニューヨークと東京ではやはり違うのだと実感します。

そんな時に、面白い日本人のカップルに遭遇しました。体内時計の時差を戻すことが下手な僕が、深夜のコンビニ通いから戻ってきた際の話です。 真夜中2時を回っていた頃かと思います。 ホテルに戻ってエレベーターに乗ると、数メートル遅れて、20代後半か30代前半の男女カップルが、あきらかにホロ酔い気味で歩いてきていました。

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