あってはならない行動制限の緩和による悪循環
緊急事態宣言に伴う自粛を求めるだけでも、補償についての議論がまとまらなかった日本です。ロックダウンになったらどうなるだろうと危惧する向きが、政治家や官僚の中に少なからず見受けられます。もちろん、補償はしなければなりません。しかし、物事には順序があります。その点が整理されていないのです。
ロックダウンをしなければ、それだけ終息が遅れます。終息が遅れるほどに、医療崩壊が進み、さらに終息が遅れるという悪循環に陥ります。その事態を立て直すには、莫大な資金が必要となります。その一方、終息が遅れればそれだけ経済活動が低調になり、税収の落ち込みを前提とした予算編成しかできなくなります。個人事業主などに対する補償にしても、何回かに分けて行うことになりかねず、そのたびに補償の金額を減らさなければならなくなるでしょう。そして最後には財政逼迫。悪循環は避けられないのです。
そうした悪循環の見本は、4月16日号で西恭之さん(静岡県立大学特任助教)が「イランの行動制限緩和でコロナ危機拡大か」として紹介しているようなイランのケースかもしれません。
核開発に関する経済制裁を受けてきたイランは、これ以上、国民生活が悪化しないようにロックダウンをなかなか実施しませんでした。そして、経済活動が低調になることを避けるために、このたび、市民の行動制限を緩和したのです。それまでの貧困層への補助や企業への低金利融資によって国庫がカラになりかけてきたからです。その先に、感染拡大から2次流行という悪循環が待ち構えているのは目に見えています。
経済制裁を受けているイランと日本を単純には比較できませんが、感染拡大による経済の低迷という悪循環の構造はほとんど同じだととらえるべきでしょう。4月19日付の読売新聞で、元官房副長官の石原信雄さんは次のように述べています。私も石原さんには何かと指導していただき、尊敬している立場ですが、この考えはいただけません。
「都市封鎖(ロックダウン)のような措置を取らなかったのは良かった。封鎖は生活への影響が大きすぎる。外出に罰則を科している国もあるが、日本は日本流でいい。日本では政府は国民の良識を信じ、自覚を促す。国民は政府のやり方を理解して、要請に協力する姿勢を示している。海外では移動経路や体調など様々な個人情報を政府が集めて、感染拡大防止に活用する動きもあるが、日本はプライバシーや人権の尊重が重要視されており、監視社会のようなことはやるべきではない」(4月19日付 読売新聞)
これは、平時にしか通用しない日本の官僚の発想、それも性善説を緊急事態にも通じるものとして適用しようとするものです。緊急事態には、人間は全て過ちを犯すものだという性悪説で必要なことを、それも迅速に断行するリーダーシップが必要です。そのことを、特に政治家は忘れてはなりません。(小川和久)
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