1945年の8月に原爆が二つ投下され、それを機に日本が終戦の宣言をしたこと。
これは、教わらないと知りようがない。
だから、子どもたちには、教え伝えていくことが必要である。
子どもたちがオープンになった世界に出た時に困るのは、英語が話せないことよりも、自国の歴史について語れないことの方である。
東南アジア諸国や韓国、中国の人と話す際に、自国の歴史についてどう考えているかと問われたら、どう答えるか。
アメリカの人と話す際に、「真珠湾攻撃についてあなたはどう考えているのか」と問われたら、どう答えるか。
あるいは様々な国の人に「日本人として原爆投下についてはどうお考えですか」と問われたら、どう答えるか。
どういう立場でどんな論に立つにせよ、こういったことに歴史的背景を交えて応答できないとしたら、それは教育の責任である。
教えてこなかった、あるいは教えるのを避けてきた教育の責任である。
教えることを避けることで、考える機会を与えてこなかった教育の責任である。
教えるべきは教える。
十分に学んだその後で、考えることは自然と始まる。
しかるとほめるについては、今回は言及しないが、兎にも角にも「教える」が先に来るということ。
これだけは何にも増して重要なことである。
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