無駄な会議からの解放宣言。コロナ時代の「密より疎」な生き方とは?

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新型コロナウイルスの感染拡大により進んだテレワークは、これまでの「密」な生活が、必ずしもなくてはならないものではなかったこと教えてくれました。そして、米中の対立が促すグローバルサプライチェーンの見直しで、国内生産回帰も起こり地方分散が加速すると語るのは、メルマガ『j-fashion journal』著者でファッションビジネルコンサルタントの坂口昌章さんです。坂口さんは、テレワークと国内生産回帰が生む地方に根付いた暮らしは、収入が減ったとしても健康的で充実した生活をもたらすと論じています。

密を避け、疎に生きる

1.密に生きるようになった理由

農業中心の時代、密に生きることはできなかった。それぞれの農家が広い農地を確保するためには、自然に疎に生きることになる。江戸時代、江戸や大阪に人が集まったのは、商業が盛んになったからだ。商店が増え、商人が増えた。同時に、換金できる商品を作る職人も増えた。江戸に出ればお金が稼げる、ということで、地方から江戸に出て来る人が増えたのだ。

明治になると、欧米の文化が流入した。産業革命による電気や蒸気機関により、大量生産が可能な大型の工場が建設された。大型の工場には大勢の職工が必要になる。当時の工場は繊維が中心だったので、養蚕農家に近い北関東や北陸、あるいは、綿花栽培や藍の栽培を行っていた地域に大型の工場ができた。そして、人口も増えた。繊維の染色で大量の水が必要だったので、大きな河川が集中する地域に繊維産地が形成された。

繊維産業中心の時代は、生産地は比較的分散していたが、電気や機械、製品の組み立て関連の産業が中心になると、輸出入の港の近くに工場が密集するようになる。更に、流通産業、小売業、サービス業などが産業の中心になるにつれ、本社の仕事はデスクワークとなり、本社は都会に集中した。

その傾向は現在まで続いている。人口が集中することは、インフラ整備や公共サービスの提供には合理的なのだ。しかし、コロナ禍が起きた。密に生きる方が合理的であり、コスパは良いが、密を避ける必要が出てきたのである。

2.インターネットは分散志向

インターネットは軍事技術から生れた。蜘蛛の巣のような分散型の通信システムを作れば、特定の場所が爆撃されても様々な経路を使って通信が途切れることはない。一極集中で処理するより、分散処理した方が迅速であり、安全性も高いという考え方である。

インターネットは分散志向であり、インターネットが活用されるほど、密になる必要はない。この特性が生きたのが、コロナ禍のテレワークだった。会社が集中している地域に通勤するとどうしても密な環境になる。満員電車もオフィスもランチタイムも密だ。

テレワークの合理性を知っていた人は多かったが、これまでの働き方を変えたくないという人も多い。しかし、コロナ禍によって、半ば強制的にテレワークが導入された。テレワークを試してみると、効率が上がる人と効率が下がる人に分かれた。

効率が上がる人は、「通勤時間がなくなり、疲れなくなった」「雑用が減り、仕事に集中できる」等と言っている。効率が落ちる理由のほとんどはテレワークの準備ができていないことに起因している。「ハンコが必要だ」「資料ファイルを共有する仕組みがない」「パソコンや回線の用意がない」「仕事をする場所がない」等々である。

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