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【第9回】俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談

いずれ迎える死にいざ直面した時、人は自分がこれまでにやってきた行いを総括したくなるのでしょうか?対象となるのは仕事だったり恋愛だったり、人それぞれ異なります。形にできるもの、できないものもあるでしょう。そんな自己総括欲求について語るのは、精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さん。2人は「俺たちはどう死ぬか」をテーマにした対談の中で、さまざまな作家を例に挙げながら迫っていきます。

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

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実は鬱屈の人、星新一

春日 昨日、星新一(1926〜97年)の評伝を読んでたんだけど、けっこう面白くてさ。

穂村 ああ、最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)ね。

春日 本文中では触れられてないんだけど、年表を見たら、晩年肺炎になって人工呼吸器を付けたんだけど、それがいつの間にか外れてたんだって。で、事実上の植物人間になって、意識不明のまま1年8か月後に死んだらしい。昏睡状態で1年8か月ってさ、不謹慎かもしれないけど、考えようによっては星新一らしい気がしてね。

穂村 インナースペース感があるから? 世界は実は星新一のインナースペースだって作品があったよね、平井和正だったかな。

春日 それもあるし、死とはいっても生臭くなくて、ちょっと透明な感じがしてさ。

穂村 評伝が出たのは2007年とちょっと前だけど、この頃また再評価が進んでいる感じだよね。一時期は本屋さんであまり見かけなかったけど、13年に『星新一ショートショートセレクション』(全15巻セット、理論社)を始めとしたベスト版が出たり、文庫も復刊されているみたいだし。

春日 星新一は、デビューした頃、安部公房(1924〜93年)のライバルみたいな扱いだったらしいの。今までの日本文学の文脈にはないような、渇いていて、冷たく金属的な作風が共通していると見られていたみたいで。

穂村 そうなんだ。僕の世代では、もうそういうイメージはなかったなぁ。

春日 最初こそ似た扱いだったとはいえ、その後の作家としての有り様はだいぶ違ったものになったよね。星新一は、普遍性を狙った結果、その分かりやすさから「お子様向け」みたいなパブリック・イメージになっちゃった……その意味では悲惨だよね。本人も実はそのことにすごく鬱屈してたらしいし。そんな自分を差し置いて、まわりの連中はどんどん評価が上がっていくわけだからさ。安部公房はノーベル賞候補だし、半分彼が見出したような筒井康隆は時代の寵児のような存在になっていった。ニコニコしながら、内心は穏やかじゃなかったろうね。

穂村 星新一は、どこからデビューした人なの?

春日 江戸川乱歩(1894〜1965年)に見出されて、彼が編集長を務めていた時代の『宝石』に載ったのが最初みたいよ。

穂村 やっぱり乱歩は目利きだね。そして、『宝石』という雑誌もすごいよ。SFの星新一からハードボイルドの大藪春彦まで、いろんな才能を世に送り出しているわけで。星新一は、最初からあのスタイルだったの? ショートショート?

春日 うん。デビュー時から、あのスタイルはほぼ完成されてたみたい。

穂村 今でこそSFやミステリーの作家が芥川賞・直木賞を獲るのも普通のことだけど、あの頃はまだ難しかったらしいね。SF作家でも、SFの作品では与えなくて、たまたま普通の小説っぽいのを書いた時に獲らせたりして。人情モノの『雨やどり』(集英社文庫)で、SF作家として初めて直木賞を受賞した半村良(1933〜2002年)とかさ。小松左京(1931〜2011年)や星新一は、確かそのことを嫌がってたよね。でも結局、そうした習わしが完全に解消される前に2人は死んじゃった。で、筒井康隆がその志を継いで今、純文学の巨匠みたいな存在になっているのかな。

自己嫌悪と折り合いをつける作家、藤枝静男に憧れる

春日 でさ、星新一が傍目にはニコニコしてたけど心の内では実は鬱屈してたらしい、というのを読んで、俺はすごく気が楽になったの。

穂村 鬱屈している状態に共感したってこと? 確かに先生も、この対談では、いつもニコニコしながら心のわだかまりを吐露しているよね。お医者さんやって、たくさん本も出してて、充実しているように見えるんだけどね。しかも、こんな素敵なマンションに住んで、可愛い猫もいてさ。

春日 まあね、内心いろいろあるんだよ(笑)。でもまあ、せめてガツガツしたりはしたくないとは思ってるけど。

穂村 ガツガツは分かんないけど、実はいろいろ気にしたりするよね。自分の本のAmazonレビューを読むって言ってたのは意外だった(笑)。

春日 このふざけたレビュー書いた奴を突き止めてやる! とか思ったりしてね(笑)。まあ、しないけどさ。超然とまでいかなくても、鷹揚としていられたらいいんだけど。

穂村 誰みたいなイメージ?

春日 作家なら井伏鱒二(1898〜1993年)とかさ。俺も釣りとかしなきゃダメかな。

穂村 さっき乱歩の名前が出たけど、彼は推理小説というジャンルの、日本における開拓者でしょ。みんなに尊敬されていたけど、やっぱり屈託もあったみたいだよね。ただ、彼の場合は自分の趣味や性癖とか、その原因がもうちょっと個人的なものだったようにも見えるけど。

春日 でも、ある時期から推理小説そのものが書けなくなっていた、というのは辛かったんじゃない? 本心では、「少年探偵団」シリーズなんて子供向け書きたくなかったわけでしょ。

穂村 なぜか自己評価が低そうだったよね。乱歩はそれを隠していなくて、「そんなに卑下しなくても」って思うような文章を残している。まあ、時代が下って、本人的にはちょっと……と思っていたであろう仕事にもリスペクトが集まったわけだけど。当時はキワモノとかこどもだまし的な扱われ方もされたのかなあ。

春日 そういう鬱屈というか、自己嫌悪系としては、俺は藤枝静男(1907〜93年)に憧れるんだよね。

穂村 いわゆる私小説作家なの?

春日 ジャンルとしてはそうだね。静岡県の浜松で眼科医をやりながら小説を書き続けた人。作品を読むと、鬱屈している様子が伝わってきてグッとくる。自分の人間性とか体験したことについて、もうぐじぐじぐじぐじ書いててさ。で、その自己嫌悪と折り合いをつけつつ、生きていく姿が俺には非常に好ましく映るのよ。

穂村 作家としては、どういう人だったの?

春日 若い頃、瀧井孝作(1894〜1984年)に原稿用紙をどさっと渡されて、「これに素直に書いてみれば、それがもう作品なんだ」って言われて小説を書こうとしたんだけど、その時は書けなかったんだよね。で、処女作を書いたは40歳の時。それって、むしろ書くことに必然性があったという感じがするし、気合入っているなとも思うんだよね。

作風としては、やっぱり医者特有の身も蓋もなさがあってさ。「これはもうダメですね、腕を切り落としましょう」みたいな思い切りの良さというか。非常にきっぱりとした精神で書かれているのが作品から伝わってくるんだよね。しかも、作家には酒とか女とか金の話が付きものだけど、作中で言及したことはほとんどない。よくある「原稿が書けない」みたいなくだらないエッセイも書かないし、すごく腰が座っている人だったの。

医者で、カルト作家で、自己嫌悪……あれ?

穂村 先生は前に「地に足が着いてる」ことを美徳とするような発言をしていたけど、つまり藤枝はそういう作家だったの?

春日 まさにそう。一家の父として、あるいは夫として、あるい開業医として、意地を張って「俺がみんなを引っ張っていかないと」的な強い意志を持っていたことが、エッセイとかからも伝わってくる。で、そういう性質が、作品にも非常にプラスな形で出ているんだよね。思い切りの良さという意味では、柔軟というよりも、「え!」というようなことを作品の中で平気でするタイプでさ。自分が言いたいことを言うには普通の私小説の形じゃダメだと思えば、丼やぐい呑みが喋るなんてとんでもない設定を平気で持ってきちゃう。で、そんな大胆な作品「田紳有楽」(講談社学芸文庫『田紳有楽・空気頭』収録)で、1976年には谷崎潤一郎賞を受賞していてさ。

穂村 ちゃんと評価もされているわけね。

春日 ストイックなところもいいんだよね。自分の病院兼住居を建てた時も、わざと真四角な、まったく色気のない建物にしつつ「俺は罪深いから、いわば刑務所に入るような気持ちで作った」とかうそぶいて見せてね。でも、外側に貼るタイルはどこそこで特別に焼いてもらった特注品だったりして(笑)。そういうところもお茶目で好き。なんだろうな、藤枝静男は、俺的には一番誠実な人なんだよね。フレキシビリティとか大胆さとか、甘えないところとか、憧れるよ。

穂村 そのチョイスは、先生らしいなと思うよ。少し前に亡くなった歌人の岡井隆さん(1928〜2020年)もお医者さんで、やっぱりそういう「医者で文学者」という系譜に自分がいるという自意識があったと思うんだけど、でも岡井さんのは憧れの対象が森鴎外とかのイメージなんだよね。偉いお医者さんで文豪、みたいな。でも、近代と現代とでは時代も離れすぎているし、実際問題として今は成立困難だと思うの。それこそ岡井さんくらいの年齢じゃないとさ。そういう意味で言うと、藤枝静男って目標はずっと現代寄りで、いわゆる文豪って感じじゃないよね。昔はそういう言葉はなかったけど言うなればカルト作家でしょ?

春日 まあね(笑)。

穂村 医者で、カルト作家で、自己嫌悪……先生、もうすでに完成してるじゃん! あとはその精度を上げていくだけだよ。さっき井伏鱒二みたいな感じで行きたいって言ってたけど、やっぱり文豪的な存在じゃなきゃダメ?

春日 いや……カルト作家で充分ですけどね(笑)。

穂村 そうだ、藤枝静男はどういう最期だったの?

春日 最期はね、ボケて死んだ。それも書庫で、台に乗って上の方の本を取ろうとしたらひっくり返っちゃって、頭ちょっと打ったりしたのがきかっけで一気に。

穂村 その死に方にも憧れるの?

春日 そこには別に憧れないけど(笑)。だけどまあ、あの人ならそんなもんかな、という気もするな。認知症ならもはや自己嫌悪どころじゃないから、いわば究極の解脱方法を選んだなって感じがするわけ。

自己総括欲求をめぐって

穂村 先生はよく、全集を出したりしている作家への憧れを口にしているよね。それって、死ぬ前に自分の仕事を総括したい欲望があるってこと?

春日 まあね。あり得ない話だけど(笑)。

穂村 先生は、書くもののゾーンに幅があるからじゃないかな。お医者として書いた医学的なテキストから、エッセイとか文芸寄りのテキストまであるから、そういうのをテーマ別に分けて一望したくなるというのは分かるような気もする。

春日 全集はともかく、アンソロジーは作りやすいタイプかもしれないね。テーマを決めて、それに沿って過去に書いた比較的出来のいいものを集めればいいわけだからさ。

穂村 僕は、今のところ、そういうまとめてみたい欲求って湧いてきていないんだけど、もうちょっと経つと変わってきたりするのかな? でも、江戸川乱歩みたいに日記や手紙、生原稿、メモ、新聞や雑誌の切抜き、果てには過去に引っ越した家の全間取り46軒分までもをスクラップした「自分史」本を作っちゃう人もいるわけでさ。あそこまで徹底できるならいいかもね。

春日 『貼雑年譜』(講談社)ね。

穂村 でも自分史も、「旅行編」みたいにテーマを決めてまとめることならできるかもしれない。時系列で、自分が過去にした海外旅行の記録を年表化することくらいなら、そんなに難しくなさそうだし。まあ、一日でできちゃうだろうから、あまり達成感はないかもしれないね(笑)。そういうのは老いてベッドで死を待つような状態になった時に見たくなるかも。

春日 今はまだ、そんな気にはならないね。自分の人生が矮小化されそうでイヤだよ(笑)。

穂村 で、結局着手しないまま死んでしまったりね。あ、でもさ、先生はこの親から相続したマンションを「ブルックリンの古い印刷工場を改装して住んでいる辛辣なコラムニストの住み処」にリノベーションした家を作ったことで、自分の人生を一望するような欲求はだいぶ満たされたんじゃない?(太田出版、春日武彦『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』参照) 蔵書とか、集めたコレクションを眺めたりしてさ。

春日 まあ、多少はね。だけど、まだ「とりあえず」感は否めないけどね。

穂村 ここまででも、なかなかできないと思うよ。もっとも、本当は過去の自分のことなんて忘れてしまっている人とかの方が格好良いと思うんだけどね。

春日 本当はね。

穂村 次の作品のことで頭がいっぱいで、昔のことにかまけている時間なんてない、みたいなさ。「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」って誰だっけ。寺山修司かな。

春日 俺は、自分の過去の仕事が全集になったりするようなことに憧れたりする一方で、昔自分が書いた本が読めないんだよね。

穂村 へぇ、そうなんだ。なぜ?

春日 俺はこんなカス書いてたのか!って愕然とするんじゃないかと思うと怖くてさぁ。

穂村 添削しちゃったりして。

春日 直せるくらいならいいんだけれど、「もう全部ダメ!」「救いようなし!」みたいな感じになりかねないと思ってて。でも、自分では不出来な方だと思ってた文章が、この前大阪市立芸大かなんかの入試問題に使われた時は、「意外と良かったのかもな」ってすぐ肯定しちゃったけどね(笑)。

穂村 そこは激怒するくらいじゃなきゃダメなんだよ、本当は(笑)。大学に「なんでこんな不出来なものを使うんだ!」って。

春日 そうなんだよ、その方が格好いいのは分かってるの。でも、やっぱり嬉しいからさ、つい褒められ待ちをしちゃうんだよねぇ(笑)。

(第10回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
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